約束のアンブレラ
九
午前十時を過ぎた時、藤山を少し下った大通りで、深瀬は大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気と心地の良い風が吹いている。雨に濡れた木々が美しく、藤山がいつにも増して壮観に映った。
鳥谷も撥水性のあるコートの皺を伸ばすような仕草をして、右の方を睨みつけるようにしていた。先の見えない暗い道が続いている。
「どうかされましたか、鳥谷さん」
「どうも気にかかる。どこから横川淳一は栗林智久が久原真波に好意があるという情報を得たのか、本人を問い詰めても頑なに口を噤んでいた。そして三好和希、あいつを警察学校の時から知っているが、殺人など犯す人間じゃなかった。
しかも動機も犯行もずさんだ。まるで無計画で無差別な殺人を示唆されたかのように、何か胸騒ぎがしてならない」
「鳥谷さん、考え過ぎじゃありませんか。あれは藤湖トンネルですよね。あの先にあるのは日本でも最高峰の透明度を誇る藤湖ですよね」
「そして十燈荘だ」
鳥谷は静かに言った。
「十燈荘? ただの金持ちが住む別荘ですよね。年に一度のふじ燈篭祭以外は閉鎖されたような場所ですし、これまでも際立った事故や事件もない平穏な住宅地じゃありませんか」
深瀬は鷹揚な表情をした鳥谷に視線を向ける。
「そういう閉塞したコミュニティこそ注意を払う必要がある。この藤山では過去にも不可解な失踪事件が起きていることは揺るぎない事実だ。俺はそれが誰かの手によるものだと睨んでいる」
「連続殺人事件ってことですか」
「ああ、おそらく静岡県警にも内通者がいるだろうから内密に動くことになるが、この一連の事件を明らかにすることが本懐を遂げることになる。それが済んだら家族の時間でも作ろうか。長らく仕事ばかりで妻に愛想を尽かされそうだ」
そう冗談まじりに言った。