地球が危機に陥り、数百万の宇宙船が、それぞれでたらめな方向に、速度もばらばらに散って行ったとしよう。それぞれの時間の流れ、ローレンツ収縮はどの船から見るかで極端に変わる。私がその中の1隻に乗っているとして、私の時間の流れは、各宇宙船の視点だけでも数百万の正解があることになるだろう。

そのうちのどれを選べば「私の正しい時間の流れ」なのか、決める手段はあるのだろうか。私の知らないうちに、さらに後発組の出航があったとしたなら、私の感知しないところで私の絶対時間が左右されることになってしまうのだろうか。

取りうる視点の数が無限であるのだから、私たちは自分の時間をひとつの絶対量として尊重するということが、まずは当たり前で常識的な判断だ。すなわち、私の1時間は、相対論によればこれを外から眺める視点によって、ほぼ0からほぼ無限大まで変化し得る。では外から眺めるということに科学的な意味を与えることはできないのだ。

なぜなら0から無限大までの任意の内的時間に対し、いずれも客観的な裏付けがあるということになってしまうのだから。しかもそのすべての解は光速度の絶対性に導かれたものである。つまり相対論ではすべて正しいということなのだ。

これは時間の主観的な見方と客観的な見方の対立などという類のものではなく、意味のある表現ができないという単純な事実だろう。はっきり言って、ナンセンス以上のものではない。

  

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