話しながら範子は、ほんのりと微笑を浮かべた。
「でも、空が一番綺麗に見えるのは、丘の上の神社。あそこはもっと、空に近くて、静かで、別の世界みたい」
この町の神社は小高い丘の頂上にあるので、範子の言う通り、空を眺めるには絶好の場所だろう。
「空が好きなのか?」
それまで微笑んでいた範子は、急に口元を強張らせた。
「好き。だけど、見ていたくない」
「どういうことだよ」
二人の間を、重苦しい沈黙が遮った。最初の和やかさは消え失せ、範子の目元には暗い影が差している。長い沈黙の末、彼女は諦めたような細い声を出した。
「空を見ている間は、他の景色を見なくていい」
至福であり逃避。普段の範子を印象づけているもどかしい雰囲気は、もしかするとこの矛盾した気持ちが原因なのかもしれない。
「それで、夕方までそうしてるのか?」
返事がないということは、そのつもりなのだろう。意を決して、範子の鼻先に握り拳を運んだ。彼女はその拳を不思議そうに見詰めている。
「手、出せ」
開いた拳から、きらきらと光がこぼれた。そのきらめきは、彼女の手の上でかちゃかちゃと音を立てて、五枚の百円玉となった。
「おばちゃんが帰って来るまで、おやつ抜きだろ。それで何か買えよ」
「いらない」
範子はすぐに国生の手を取って、五枚の百円玉を突き返した。彼女の悲しげな表情が、その場を一層息苦しくさせる。もう一度小銭を差し出すと、彼女は俯いたまま消え入るような声を出した。
「何か、欲しそうに見えた?」
乾いた北風が吹き抜けて、彼女の真っ直ぐな黒髪を乱した。道路を挟んだ向こう側では、雑木林がざわざわと騒いでいる。
「何だよ、せっかく来たのに」
心ない捨て台詞を聞いても、範子は膝を抱えたまま顔を上げようとしない。国生はたちまち居場所を失った。
足早に通路を引き返しながら、突き返された小銭をウインドブレーカーのポケットに流し込む。するとポケットの中から、たかたかと小太鼓を叩くような音が聞こえてきた。
立ち止まって振り返ると、範子が静かにこちらを見送っている。モノクロの世界を見ているような、とうに見慣れた色のない顔。ただそのときだけは、彼女の真っ白い表情に鮮やかな色を塗ってやりたくなった。
【前回の記事を読む】「そんなんだから友達いないんだよ」うっかり口にしてしまった嫌味が、ずっと口の中に残っているようなひどい気分だった。
次回更新は2月27日(木)、20時の予定です。
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