「片づけが先。あんたの持ち物なんて少ないんだから、三十分もかからないでしょ」それでも浮かない顔をしていると、母は呆れた調子で、「それじゃ今日だけ特別。全部終わったらお小遣いをあげる。だから回覧板とお片づけ、お願いね」と早口に言い渡した。

別に小遣いが欲しくて拗ねたわけではない。心の中で反論しながらも、やむなく玄関に行って靴を履く。靴箱の上に立てかけてある回覧板を引ったくると、表紙に印刷された地元企業の広告が目に入った。

その中の一つが、彼を釘づけにした。不動産業の広告で、キャッチコピーや連絡先の下に、笑顔でキャッチボールをする父と子のイラストが描かれている。気がつくと、驚くほど胸が高鳴っていた。もうすぐ父がやって来る。多くの同級生たちと同じ、両親がいる普通の生活──。

「回覧板、届けてくれた?」

母がご飯をよそいながら訊ねる。国生は茶碗を受け取ると、黙ってこくりと頷いた。

「返事くらいしなさい」

「うん」

「うん、じゃなくて、はいでしょ」

厳しい目を向けられて、仕方なく、はいと呟く。

「よそでそんな返事しちゃダメだからね。それじゃ、いただきます」

母は座卓に並べられた夕飯に向かって手を合わせると、深々とお辞儀をした。

「こら! ちゃんと『いただきます』やった? そんなにだらしないと、新しいお父さんに笑われるからね」

恐る恐る母を見遣ると、目尻が厳(いか)めしく吊り上がっている。母は最近、急に小煩(うるさ)くなった。ひと月前までは、早々に焼酎のグラスを傾けて、国生の所作などには目もくれなかったというのに。

「いただきます!」

むきになって大きく柏手を打ち、大声で叫ぶ。

「元気は満点だけど、ちゃんと礼をしてから」

苦笑いを浮かべた母が、ぞんざいに頭を撫で回す。

そのせいで髪の毛はぼさぼさに逆立ってしまったが、そんなことを気にしている場合ではない。散々焦らされた腹の虫に急かされて、湯気の立ち上る炊きたてご飯を忙しくかき込む。

夕飯の献立は、国生が大好きなエビフライだった。エビフライ自体も好きだが、本命は皿に添えてあるタルタルソースだ。母が作るタルタルは、子供の口に合うようピクルスが少なめで、しかも細かく刻んである。そして何より玉子の黄身の風味が豊かで、そのねっとりとした旨味が口の中でさっと溶けていく瞬間がたまらない。

エビフライの先端でタルタルソースをたっぷりとこそげ取り、一気にかぶりついた。

【前回の記事を読む】小学校から家に帰ると部屋は散乱していた。意を消して部屋を進むと口をへの字に曲げ、床ををにらみつける女性の姿が......

 次回更新は2月24日(月)、20時の予定です。

 

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