この人間を考える時に、忘れてはならないことは、人間は言葉をもって相手と意思疎通を図る動物であるということである。この言葉に良いことも悪いことも全てが含まれそのことに一喜一憂するのも人間である。
その言葉の妙を少しばかり述べたいが「目は口ほどにものを言う」とか「目は心の鏡」など、目を用いた諺は多い。今時は目力も入るかな。
人は話す時に相手の目を見て話すのが普通である。たまに目を見ないで話す人もいるが、逸らされると話の内容よりもその方が気になってしまう。なので、その逸らされた目線の先に顔を持っていきたい時も……。
とにかく対面し話す時には、口で喋りながらも目でも喋っている。つまり言葉が口から発せられるたびに、その語調を捉え、目が微妙な変化を見せる。人間の場合は、表情筋が豊富なためだと思うが、心が顔の表情となって表れてくる。
その目と顔の変化で相手の機微を感じ取り、それぞれの思いが交換され話が成立する。人と人とが話をするということは、面倒な言い方をすると、このようなことになるのではないかと思う。
人が人たる所以は、「話すこと」であり、言葉をもってお互いの意思疎通を図ることができるのが、人間としての最大の人間らしいところではないかと思う。
人が人として生きていくためには、どうしても自分の思いを相手に告げる手段としての言葉を発しなければ、会話にならないし、当然ながら何も成立しない。