じいじになった私

世の中と私

結局は人間として明確なことは、人として生まれたことで、その姿かたちが紛れもなく本人であり、中身については誰も分からないのではないかと勝手な解釈をしている。根拠もないことを薄っぺらな分析で怒られるかもしれないが、このように考えている。

たまに哲学的な答えの出ないことに挑戦すると、当然壁にぶつかり身動きできなくなるが、それはそれで面白い時がある。ただ、眠れない時などには、考えるほどにグルグルと思考回路がリピートされるように働き、却って眠れなくなってしまうので困ってしまう時もある。

このように、無駄は無駄でも考えをいろいろと巡らせることは、個人的には有益なことかもしれないと思うようにもなってきた。このことで他人に迷惑をかけるわけでもなく、とにかく我思う故に……式にボーッと考えている。

先ほど人間は宇宙の存在と記したが、果てしなく広がる宇宙と同様な思考回路を持ち合わせている人間はある種の宇宙人と解すれば、変に理解できるような気もしている。

ここまで来ると偏見さも極限を超えてしまうような気もするが、個人的にはこの見解でまとめておきたい。しかし、哲学者は宇宙の果てに近い、光の届かないようなところまで、人間の本質を見極めようと日々研究しているかもしれない。

が、それはともかくとして、私のような偏見論者は、晴れた夜空にキラキラ輝く星々を綺麗だなぁと眺めることで、いろいろな思いを巡らせながら人生を織り込んでいる老体で十分かと思う。

つまり、肉眼で見える範囲の世界に喜びを感じる程度の人間で生きていければいい。あとの宇宙の深淵なところの哲学話は、その途中経過でも聞かせてもらえれば十分なものと考えている。