しかし、その言葉遣いによっては、人を傷つける場合も多々ある。逆に元気づけられる場合や癒される場合も多々ある。いずれにしても言葉は、問題を生み出すこともあり、問題を片づけることも言葉そのものである。
つまり、言葉には是もあり非もある「もろ刃の剣」といえるものではないかと考えている。言葉の魔力というか、武器にも守りにもなる言葉は、時代に世代間に関係なく、いつでも慎重でありたい。
世の中には、いろいろな人がいていろいろな考え方を持つ多くの価値観の違う人がいる。そのために社会が構成されているといっても過言ではない。
自分の常識は、相手には非常識ともいわれる。相手の理解を得るためには、話の内容によっては、忍耐強く言葉を交わし続けなければならない。
ただ、それでも話に結論が出るとは限らない。人と話すことは、相手を理解し相手にも自分を理解してもらわなければならない。このことには、自分も相手も大きなエネルギーを使うことになる。
人間として話す言葉があるために、人間社会が複雑怪奇なことになってきたのではないかと考えることもある。が、しかし人間として言葉を話すために数々の文明の発達を促し便利な世の中になってきたことも疑いのない大きな事実である。
良いことも悪いことも、言葉に尽くせないほどのいろいろな清濁併せ呑むものが人間であり、それこそ宇宙的な広がりの可能性を秘めているのも人間であると、この原稿を綴りながら結論めいたものが見えてきたような気がする。
その希望としては、生き物の源泉である地球の永遠の守り人であってもらいたいと思う。
【前回の記事を読む】自分という存在は何者なのか―自問自答しながら自分自身を客観的に捉えられている間はまだ大丈夫と思う日々…
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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