Ⅰ 少女
第1章 春
北イタリアの公国フェラーラは、1489年の春のさなかであった。
もうすぐ15歳のイザベラは大理石の広い階段を駈け上がると、いつもの様に「ラテンの部屋」の前に来た。無数の彫刻が施された大きな樫の扉を全身の力で押し開ける。すると、中からエンリーコの笑い声が耳に飛び込んできて、思わず微笑んだ。
その時、イザベラは、はっとした。
見知らぬ若者がいるのだ。
エンリーコとジョヴァンニは若者の正面に、ステファノとルチオは若者の両隣に座って、目を輝かせながら若者の話に聞き入っていた。
ジョヴァンニとステファノはイザベラより一つ年下で14歳、エンリーコとルチオは13歳で、皆イザベラの従弟である。
一方、この若者は18歳くらいにも見えるし、22~23歳くらいにも見えるし、第一、この国の人か否かさえ見当もつかなかった。
イザベラは、不思議な力に吸い寄せられる様にしてそちらの方へ歩み寄った。
次の瞬間、イザベラは釘づけになった。
剛毅と度胸と、ふてぶてしいまでの落ち着きを感じさせるその面構えに、イザベラは「ただ者ではない」と直感した。
イザベラは我を忘れて、その若者の眉間を射る様に見つめた。
若者は、眉一つ動かさなかった。
やがてイザベラは、何事も無かった様にそこを離れた。