先ほど特色を見つけるのが難しい町……と申しましたが、実は隠れた特色がたくさんある町と訂正させていただきます。
昭和7年8月14日、歌人の斎藤茂吉が弟高橋四郎兵衛とともに、中川町の志文内(現在の共和)に拓殖医の兄守谷富太郎を訪ねています。茂吉が中川町佐久駅に降り立ったその日は、大変な豪雨の日で、兄富太郎が住む志文内まで、4時間もかかったそうです。茂吉は志文内に滞在した5日間で、47首の短歌を詠みました。
代表的な短歌は、
うつせみの はらから三人(みたり) ここに会ひて 涙のいずる ごとき話す
ふるさとの山形県金瓶村を離れて、最北の異郷の地中川町の志文内で17年ぶりに再会を果たした3兄弟は、何を思い、何を語り合ったのでしょうか!
中川町は、アンモナイトやクビナガリュウなどの化石が発掘される地域でもあります。アンモナイトやクビナガリュウは、白亜紀の時代に海底であった「蝦夷層群」と呼ばれる地層で発見されますが、それらの化石が数多く発掘される中川町は、多くの地層学者や化石の研究者の垂涎の的となっている町です。
それらの研究を推し進めるための前線基地として、また都市住民と地域住民の「学びと交流」の場として、エコミュージアムセンター “エコールなかがわ” が開設されました。
茂吉も47首のうちで、
この谷の 奥より掘りし アンモナイト 貝の化石を 兄はくれたり
と詠んでいます。そのアンモナイトは、私が上山市の高橋四郎兵衛ゆかりの宿「山城屋」を訪れた時、資料室に大切に飾られていました。
また中川町は、日本第4位の長流「天塩川」の中流域にあります。冬には雪と氷で閉ざされる朔北の大河天塩川は、中川町の流域内で、春のある日に突然大解氷いたします。