狢は精神を集中(スピリチュアルビューサイト)し、見えてくる情景(シーン)に心をゆだね、亜美をその中へと引き込んでいった。

大きな栗の木が四方を囲んでいる。土と樹液と夜露(よつゆ)の匂い。風のない夜の栗林を二人、正確には一人と影が星明かりを頼りに進んでいく。地面の至る所に木の根が張っていてひどく歩きにくい。それでも亜美は暗がりの中を注意深く歩いた。

「狢はどうして姿が見えないの?」

─身体を置いてきちゃったからさ─

「どこに置いてきたの?」

─カトマンザ─

「カトマンザ?」

 ─うん─

「それどこにあるの?」

─説明するのは難しいんだけど─

「どうして?」

─う~ん、つまりその、行き方が色々あって─

「私も行けるの?」

─行けるよ─

「行っていいの?」

─もちろんさ、一緒に行こう。ほらあの池、おたまじゃくしの池だ─  姿のない狢の言葉に辺りを見回す亜美。

「あ、あれかな?」

狢はなかば確信していた、おたまじゃくしの池には青い廊下への手懸かりがある。

だがその時、狢は何か途轍(とてつ)もなく悪意に満ちた気配を感じた。体中の毛が逆立つような邪悪な気配。

「おたまじゃくしじゃなくて金魚がいる」

─えっ!─

【デビ】

亜美の姿は煙のように消え、かろうじて見えたのは池の底へともぐっていく金魚の赤い尾びれ。

しまった!

金魚は狢を嘲笑(あざわら)うかのように小刻みに尾を振りながら、暗い池の底へと消えていった。

カトマンザ

「うぅっ」

「狢?」

呻(うめ)きを上げた狢の身体(ハード)は今まさにお散歩(トリップ)からの帰還を遂げた精神(ソフト)と融合しようとしていた。

「戻っておいで狢」

「ふうううっ……」

カプリスの声に反応するように狢は大きく息を吐いた。

「狢!」

カナデが駆け寄ると、狢は虚(うつ)ろな目を何度もしばたたいて痙攣(けいれん)するようにぴくぴくと手足を動かした。それから背中を起こしてぶるぶるっと震えたあとポトスの葉のような左右の耳をピンと立てた。

「か、かか帰ってこれてよ、よよよかった」

「みんな……、心配かけたんだね」 

頭がはっきりしない状態でも狢は可能な限り目を見開いてひとりひとりの顔を見渡した。

だが心は強く締めつけられていた。

【前回の記事を読む】「記憶の闇の中に邪悪な気配を感じる」「邪悪な気配?」「どうにかしてそこから彼女を連れ出したいんだが」

 

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