この状況下においても。

「かわいそうに、差し迫った恐怖にぶるぶる震えておったのか。我輩はお主を気遣って、助けに参ったのじゃ。ご安心くだされ。陳腐な男ではあるが、敵ではないのじゃ」

「とにかく、無事に連れ出してくださいませんか」

「オオウッ。オウオウッ。オオウッ。オウオウッ。我輩を信じるのじゃ。そのために参ったのじゃからな。他にご家族はおらんのか?」

「独り暮らしです」

はぁ? などと気の抜けた声を発した我輩じゃった。この大邸宅で独り暮らしなのは、嘘ではないじゃろが、まさか美しいおなごが独りで暮らしとるとは。

「意外じゃのう。まぁえぇ。奥からは脱出できんのか? ドアや窓のある部屋は?」

「この奥は仏間で窓がなく、行き止まりです。逃げるには、火に向かって戻るしかないです」

困ったのう……。逃げ場がありゃへんがな。困った、困った、落ち着け。落ち着くのじゃ輝男。落ち着いて考えろ。考えるのじゃ。

あぁ、亡くなった父ちゃん。母ちゃん。我輩は愛する人と、ここで、こんがり焼きのウェルダンになってしまうのかの。この人と焼肉になどなりとうないわ。ただただこのおなごと幸せになりたいだけなのじゃ。許してたもれ。

パチパチパチパチ。

拍手の音ではないわ。火の回りが激しくなってきて、部屋が悲鳴を上げておる。坂本泉水も悲鳴を上げた。我輩も続ければ、信頼などなくなってしまう。

そうじゃ、真っ向勝負じゃ。奥が行き止まりで、あとは死を覚悟で廊下を全力疾走で駆け抜けるしか、生き延びる手段はない。

【前回の記事を読む】直球で堂々と真っ向勝負するのが最高じゃ。後悔したり、臆することなく闘うのが、最も美しいのじゃ。

 

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