第二章 薬子と安殿親王
ここにきて物語の主役、藤原薬子(ふじわらのくすこ)が登場します。式家の一族である藤原縄主(ただぬし)と薬子の長女(名前不詳)が東宮安殿のお側に入内したのは十四歳の時でした。
しかし薬子は、肝心の娘の健康がすぐれず、終始もの静かで気だるそうなのが心配でした。安殿には気丈夫で姉のような存在、夫をいつも元気づけ、気遣える女人がふさわしいように思え、薬子は不安でした。
「娘が御殿での生活に慣れるまで、しばらくの間私が付き添いましょう」
薬子は亡き乙牟漏皇后や旅子夫人と面識もあり、後宮には何度か出入りしていた関係で、新しい帝、桓武にも親しくお目にかかっています。
薬子は美しく正装した娘につき添い、落ち着いた足取りで長い廊下の先の一室に入りました。
「ほう……、こりゃ臈(ろう)たけた佳(よ)き女ぶりじゃ」
桓武が感じたのは、娘の一歩後ろに控えた母親の薬子に目をやった時です。
「媛(ひめ)は其方(そち)と縄主の娘であるか……。確か、東宮がまだ幼少の頃、世話をかけたやに思うが……」
早良親王が謀反の疑いをかけられ、非業の死を遂げた後、その怨霊の矛先が幼少の安殿に向かい、安殿が気鬱(きうつ)となり身も心も疲れ果てていた頃、子の将来を心配した桓武は、自分の天皇継承に貢献し、後に殺害された藤原種継の娘の薬子を安殿の乳母にした経緯(いきさつ)がありました。
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