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知数は部屋に引っ込んでいかずに、リビングでブラブラしている。テレビを少し見たかと思うとカバンの中身をいじったり、落ち着かない様子だ。そんな様子を見て、実知はスキップを踏みたくなる。自然に笑顔になる。
「今日は早目にお夕飯作るね。皆大変な一日で疲れたもの。知数、疲れたでしょ。大丈夫。何か食べたいものがあれば言ってね。スパゲッティにスープに、生野菜大盛りのサラダなんてどう。あっそうそう、三鶴先生が言ってたわね。
小麦より米がいい。肉より魚か大豆って。それじゃご飯に、具沢山みそ汁、シャケなら冷凍があるからそれ焼いて、豆と海藻と野菜たっぷりサラダでどう。チリメンジャコも入れちゃお」実知は上機嫌で饒舌になっている。
五時過ぎには準備ができて早い夕食になった。和徳はホッとした和んだ表情でビールを飲んでいる。
応急処置として作ってもらった透明な軟らかいゴムのようなマウスピースをしたままでは食事ができないので、それを取り外して知数がしみじみ眺めている。
「これ入れた途端に良くなるんだよ。体も楽だし気持ちも不思議なほどすっきりする。あっ、これ外すと」と言って知数は首を捻った。首筋が突っ張ってくるのだ。
「不思議ね。でも来週にスプリントというの入れてもらえるんでしょ。そしたらそれ入れたまま食べられるのね。もう安心」空腹になっていたし、心配もなくなって、三人ともよく食べた。
「未知夫君もお母さんが一度みつる歯科に相談に行ったんだってよ。なぜ治療をしなかったのかしらね。残念ね。縁ってものかしらね」
「みつる歯科に行く気になってくれて、治療を受ける決断をした知数は偉かったよ。それに知数をその気にさせたお母さんも偉かったよ。よく勉強したと思う。お前はよくやった」実知に向けた和徳の声には感謝の気持ちがにじんでいる。
実知はそれが嬉しい。ここに辿り着けたのは本当に幸運だったと思う。もし高山創や須田春菜の話が耳に入っていなかったらどうなっただろうと思うとゾッとする。到底、歯科になんか行く気になれなかったはずだ。
でも草介の本を読んでいたのは私の努力の賜物だ。それがなければみつる歯科の考え方を理解できていなかったと思う。
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次回更新は2月8日(土)、21時の予定です。
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