二
良助は幾度も畳に手をついて頭を下げるが、言葉がない。
西向きに敷かれた布団に横たわった未知夫の顔には白い布がかけられ、菊の花が活けられ、線香の香りが満ちている。十一人の弔問客で部屋はいっぱいだ。
「ご愁傷様です。心からご冥福をお祈りします。私どもも未知夫君のことを一緒に受け止めさせていただいて、ご両親のお力になりたいと思います。どうかお力を落とさないで」中井は気丈にそこまで言って言葉に詰まった。
実は咲子には二人の娘がいるが、中学一年生の娘はもう一年間、学校に行っていない。それに加えて、小学六年生になった妹が数日前から登校しなくなってしまった。
天性の楽天的性格で、おおざっぱと言うか、のんびりしている咲子も、さすがに応えている。今まではあまり悲観的な考えはなかったが、元気だった妹も急に朝起きられなくなり、そこに未知夫の死が重なった。いつも明るく、優しい咲子からも、やはり笑顔が消えていた。気分が暗く、閉ざし気味になってくる。
お別れをしようと咲子が白布をゆっくりと除いた。咲子は息を飲んだ。囲んだ皆の息も、一瞬止まり、顔が引きつり、下を向いた。正視できなかった。顔が青黒くむくみ、苦悶で歪み、地獄を思い起こす形相をしている。首を吊ったことを物語っている。
誰も慰めの言葉も失い、沈黙し、手を合わせた。
「こんなことですし、コロナもありますから、家族葬で行います。ご迷惑をおかけして本当に……」
内々で執り行うので、手伝いの心配も無用との話だったが、家族葬と言ってもお別れにくる会葬者はいる。受付や記帳やお茶の用意や、駐車場の誘導だって、雑用は多いはずだ。明日が通夜、明後日が告別式というので、あすなろでも可能な人は出て協力したいと申し出た。
「せめて最後まで一緒にいてあげたいので、手狭で申し訳ありませんが、自宅で行います」それだけ言うのが最後で、そのまま両手を突き、頭を下げてしまった。お互いに顔で合図し合って退出したが、良助は彫刻のように動かなかった。
外に出ても、誰も口を利く者はいなかった。隣家の庭の柿の実が陽に輝いているのが、わずかに皆の呼吸を助けた。
秋の空は明るく、雄大な赤城山の裾野が、ゆったりと、長く、優しく、南東に伸びている。空や山の姿の美しさに、自分はまだ感動することができる。
そのことに実知は心の底から感謝を覚えた。知数のことも、夫のことも、私が命をかけて守っていくのだ。実知の心はそう固まっていく。