「無理しすぎないようにね」

と、ついこの間と反対の心配を口にする自分に実知は苦笑した。

高崎の街の東西を結ぶ、駅のコンコースを通り、西口の街中を走り、城址公園に来て一息ついた。運動をしたあとの疲れは気持ちいい。無理をしているという嫌な疲れは感じない。城址公園の紅葉は今が盛りだ。

天を見上げて深呼吸をすると、体の芯まで新しい力が浸み通っていく気分だった。烏川(からすがわ)の広い河原を挟んだ向こうに観音山があり、その頂には白衣(びゃくい)観音がくっきりと立っている。

そのうちにあそこまで走るぞ、体力をつけなければ、と知数は思う。烏川の河原は広く、ススキの穂が白く輝いている。河原はゆったりとどこまでも西に遡りその一番奥に優美な姿の浅間山が小さく見える。

晴れ渡った秋の空を、西の山脈が区切り、空が茜に染まり始めた。上州は山の美しい所だ。朝と夕に、刻々と微妙にグラデーションを変えていく山と空のショーは他で見ることのできないものだ。

この山々への感動から、優れた詩が生まれたのだろう。その美しさに、知数は感動し、自分は生き返ったのだと思った。

「明日から学校に行く」

元気に、はっきりと言った知数の顔に和徳と実知が驚きの目を向けた。和徳はポカンと口を開け、食べようとしたご飯茶碗を支えたまま暫く静止してしまった。

「知数……」

とやっと声を出したのは実知だった。今日、みつる歯科であったことを帰宅した夫に細かく伝え、夕食の準備が遅くなってしまった。

実知にも和徳にも安心が広がっていたが、それでも知数の宣言は爆弾のように衝撃的だった。先が全く見えない地獄の日々の先にこれは想像できないことだった。だんだん元気になってくれるだろうと希望が持てるだけで十分だったのだ。

「知数、よく頑張った。よくやった。お母さん乾杯だ」

放り出すように茶碗を置き、和徳は冷蔵庫に走った。グラスも三つ運んできた。

「知数は何を飲む」

実知と自分のグラスにビールを注ぎながら聞く和徳に、

「僕も一口だけ」

三人は顔を見合わせ、それから笑い、知数のグラスにもビールを少し注いだ。三人で合わせたグラスの音がカチッと響き、それぞれにビールを飲んだ。

「地獄で仏に本当に会えた。こんなことがあるんだろうか」

和徳は体の底からそう思った。近いうちに感謝の気持ちを伝えに、みつる歯科に行ってこようと思った。