この家にだんだん居づらくなり、ストレスが増えてきた。僕の心は何となく落ち着かず、部屋のあちこちに濃い色のおしっこをした。不安を感じたときに縄張りをアピールするマーキングの一種のスプレー行為だ。去勢していない雄猫に多いらしいんだけど、おかしいな、僕はとっくの昔に去勢しているのに……。

智子ママは僕がストレスを感じていることを心配しながらも、「臭い、臭い」と言って後始末の掃除をしていた。

(やっぱり外の世界が恋しい。しばらく旅に出よう)と僕は決心した。五月の爽やかな日の午後、ちょうど窓の外に〝ボス猫〟の姿を見つけた。これ幸いとばかりに、思い切って園田家から飛び出した。今度ばかりは勇気がいった。

「あっ、にゃん太郎。早く帰ってらっしゃいよ」

智子ママはいつも通り、僕の後ろ姿に向かって呼びかけた。一瞬振り返って、

「ニャーン。ママ、しばらくさようなら」

と、ひと声挨拶すると、ボス猫の後を追った。

外の世界は自由で楽しい。緑の草をかじってみたり、野菜畑でゴロゴロしたり、蝶々や虫を追いかけたり、駐車場の車の上で昼寝をしたりと、自由自在の経験ができる。

お腹が空くと、ボス猫が教えてくれた食べ物のある場所に行く。近所のおばさんが僕たちのために置いてくれたご飯もあるし、近くには大きなスーパーのゴミ箱に廃棄された、売れ残りの食べ物もあった。だから、何とか飢えずに生きていられた。

雨風の強いときは、物置の中や近くの家の床下で過ごして、僕はすっかり野良生活を満喫していた。ときにはボス猫と追いかけっこして遊んだり、喧嘩をしたりと、自由気儘に暮らしていた。

かれこれ一年が経った頃だった。遠くまで冒険したと思って、とある畑に紛れ込んだ。ふと目の前に、何となく見覚えのある家が建っていた。気になって仕方がなかった。その家の周りをうろついたが、中には入りづらい。

「あら、にゃん太郎じゃない? 帰ってきたの?」

僕はびっくりして逃げてしまった。もう園田家のことは、かすかな記憶に残っているだけ。僕は、野良猫に成り果ててしまった。

   

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