もう一口、実知はリンゴを噛み締めた。リンゴの生命が口の中いっぱいに染み渡り、広がり、脳までも目覚めていく思いがして、実知は大きく目を開けた。
(私は知数の母親だ。リンゴに負けてはいられない。私が救わなくて誰が救ってくれる)母性なのだろう。実知にじわじわと力が湧いてくる。頬に血の色も差してきた。
知数のために生命をかけられるのは私しかいない、という思いが強まってくると、迷いや悩みの霧が引いていくのがわかった。
腹が据わってくると不思議なことに落ち着いて考えることができる。母親の私が生命を張らなければいけない。まずその腹が据わった。考えてみればこれまでのように悩み、迷うのは愚かなことだ。
何のメリットもなかった。苦しみ、消耗し、追い詰められていくだけだ。実知も現実的な死が見えるところまで追い詰められていたのだ。そこまで来て気が付いたのだ。
どうせ死ぬなら別の死に方をした方が良い。知数のためになる死に方ができるなら、ずっとましなことではないか。それがわかると死は別に恐ろしいことではなくなってきた。
いつ話し合うか。それはいつでも良いのではないか。知数が起き出す夕方がよいかも知れないが、あまり拘ることはないと思えた。
どう話すか。それは明らかだ。まっすぐに大切な意見を伝えなければならない。声にも顔にも体全体にも、その真剣さが表れる話し方をするしかない。他の細かいことはどうでもよいことに思えてきた。
聞き方の技術だの励まし方だの、そのような関心が頭から消え、ど真ん中の本道を進めばよいと思えてきた。それでダメならもともとダメなのだからどうでもよいではないか。
このまま有効な手を打てないでいれば、待っているのは泥沼と絶望だけなのだ。その状態で生きていくのは難しい。実知から迷いが更に消えた。
先日みつる歯科に相談に行ってから、何者かが実知の中に住みつき始めていた。何か気付くものが芽生え始めていたのだ。
草介の言葉や態度には確かに人を突き放した冷たいものがある。しかし何か強い力があったのは間違いない。冷たく感じる一方、あの厳しい態度も言葉も確かに患者の味方の側から発せられている。
第一、言葉に余分なものやウソがない。甘い励ましで取り繕うことの無力を知り尽くした言葉だ。本当のことしか言っていないと思える。
あの先生は人間が嫌いなのだろうか。いや本当は一番根底で、人間が大好きなのではないか。厳しい目の奥の光に、不思議な人懐こさがあるのだ。
とりあえず、今日知数と勝負しよう。
【前回の記事を読む】朝食を食べていた夫が突如大声を発した。次の言葉にハッとして、洗っていた皿が割れる音がした。それは引きこもりの息子の未来のようで背筋が凍り付いた。
次回更新は1月30日(木)、21時の予定です。
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