夫の帰りを待って話し合ったところで、今の自分の気持ちが変わることはないだろうと思った。余計なもの一切を捨てて、まっすぐに、できるだけ早く話をしよう。

一回で済むとは限らない。第二回戦もその次も生命をかけてやるしかない。その勝負で、知数に殺されても悔やむ気持ちにはならないだろう。

(今日、夕方、知数が起きる頃、真正面からぶつかろう)

森山未知夫の自殺の記事も実知を刺激したのは間違いない。早く自分が今のような気持ちになっていれば、母親の多鶴子や父親の良助(りょうすけ)に、全く別な接し方ができたような気がする。

別な言葉もかけられただろうと思う。あの夫妻は大丈夫だろうか。記事の内容を確認してからお見舞いに行ってやりたいが、どんなに苦しんだか、目に浮かぶ。無念さがわかり、胸を締めつけてくる。

しかしこのまま行けば自分たちも同じような場所に追い詰められる。申し訳ないが未知夫の死も、実知の目を醒まさせてくれるインパクトになったのだろう。

昼前にあすなろの中井から電話があった。報じられた中学生男子はやはり森山未知夫ということだった。中井のグループも全力を尽くして未知夫の支援は行っていただけに、伝える中井の声も震え気味で、かすれていた。

「刺激しないように、知数君には伝えないで。注意深くケアをしてやって下さい」という内容だった。しかし、いじめがあったと思うというコメントは実知の腑に落ちなかった。

肝が座り、心が落ち着いたせいか、お昼を過ぎると空腹を感じたので、実知はフレンチトーストを作り、ミルクティーを淹れ、またリンゴを食べた。朝かじったリンゴに覚えた感動のようなものを思い出したからだった。

体の細胞の隅々まで染み渡っていく。おいしい生命力のような力は一体何なのだろうか。ふと実知は思いついた。このリンゴは特別なものかもしれない。実知の親友が先日、気分の優れない実知のお見舞いにと持ってきてくれたものなのだ。

「まぼろしのリンゴ」と書いたチラシが袋に入っていて、肥料は一切やらずに特別栽培したものだという。普通よりずっと小さいのに、持つとずっしりした重さが手に残る。

小さく、充実しているのがわかる。有難さが心に満ちてくる。親友からもリンゴからも、実知は力を与えられているのだ。何となくやれる気分になっていた。

「きっとうまくいく。何とかなるさ。私の心が知数に届くと思う。小細工はいらない。まっすぐに本当のことを話そう」未知夫のことも考えた。明日、中井会長と相談し、森山家にお見舞いに行こう。未知夫君の冥福を祈ってこよう。

もっと早く私の目が開いていたらと思いながら、実知は暫く手を合わせた。夕食の下ごしらえをしながら五時になるのを待って、実知は二階へ上がり、知数の部屋のドアをノックした。