一人になったリビングで、実知は頭を抱えて座り込んだ。もうずっと長い間悩み、苦しみ、考えてきたが、どうしたらよいか全くわからない。

小児科の先生も心療内科の先生もよく診てくれた。けれど朝の血圧を上げて起立性調節障害を改善するという薬も全く効果があるようには見えないし、抗うつ剤を飲む頃から更に症状は悪化した。

朝起きて、夜は早く寝るよう、規則正しい生活習慣をつけるよう指導されたが、そもそもそれができないのがこの病気の特徴だと見える。

支援グループのあすなろはとても親切に相談に乗ってくれるし、カウンセリングのために自宅に来てくれる。しかし知数は部屋から出てこないし、会長の中井が声をかけても反応もない。

中井は「不登校が特別な異常だと思うことそのものが差別で、差別が不登校を作る」と説く。「不登校は悪いことではなく、それも人間の多様性の一つだと認めなければならない」と言う。

「その個性の一つに寄り添い、理解してあげることが支援になる」と言う。気長に、諦めずに、前向きに気持ちを聞いてあげれば、いつか良くなると希望を持つべきだと。

不登校支援グループあすなろの会員の多くは、その子供が不登校かそれに近い状態にある母親だ。加えて何人かのボランティアの若い男女がいる。本当に優しい人たちで、いつでも支援してくれる。

親が不在の時は代わって面倒を見てくれるし、カウンセリングには厭わずに笑顔で来てくれる。一番有難いのは、月例会でお互いの体験を始めとする情報交換ができることだ。

一人で悩まなければならない中で、これが一番役に立った。どこの先生はどのような治療をしてくれて、その効果はどうだ、という類の情報も常に交換されている。

しかし実知には最近次第に深まっている疑問がある。治療もカウンセリングも全く効果が上がらずに、知数の状態はどんどん悪くなっている。何かが違うような気がする。

それに、不登校の生徒や、それに近い無気力の子供が明らかに増加しているのはなぜだ。何と言っても知数の状態は救い難く、もう自分たちには手に負えない、という苦境に追い詰められている。次第に死ぬことの決意が体の中にできてきているのが現実なのだ。

頭が重く、痛く、食欲はないが、何か食べなければ弱ってしまうと、実知はリンゴを一切れ、ゆっくりと噛んだ。甘酸っぱい汁と香りがジュワーと口の中に広がる。

「このリンゴは生きているのだ」

その実感が実知の何かを呼び起こしてくれる。

「私も生きている」