「もっとも、話しかけなければ、それはそれで無視されたなどと受け止めるかも知れない」青白くて、他者がいるだけで圧迫を感じてしまうように見えなくもない。それをいじめて無視したなどと言いたがる人がいるのも事実だ。

冷めてゆくコーヒーを前に、腕組みしたまま和徳は眉間にしわを寄せている。いつもはあたふたと食事を済ませて出ていく時間だ。

「あなた、知数のこと、相談したいの。今夜は早く帰れないかしら。この間、三鶴先生に相談に行ってきて、ずっと考えているのだけど、前に進めないのよ」うん、と頷いて和徳はバッグをやっと取り上げた。

「仕事が終わったらすぐに帰れるよ」

俯き加減の表情は暗く、元気なく出ていく姿からは魂が抜かれてしまっている。

和徳も出口がないところに追い詰められていた。知数のことは解決策があれば何でもしてみようと考えてきた。昼間は仕事が忙しくて時間は取れないが、ネットで調べ、本を読み、然るべき窓口に相談もしてみた。

しかし調べれば調べるほど暗い気持ちになってくる。

どの専門家も、完治は難しいと言っている。「無理なく、気長に、肯定的に接する」などと言うだけで有効な治療方法の説明がなく、まるで諦めることの大切さを説いているように聞こえるものばかりなのだ。和徳の実感でも知数の状態には取りつく島がないと、絶望的な気分になっている。

先日、知数の様子を見て、できれば少し話ができないかと部屋に入ってみたが、絶望は深まるばかりだった。仕事が終わってすぐに帰った日だったので、夜の七時頃だった。

知数はベッドに胡坐(あぐら)をかいていて、和徳の顔を見上げた。薄暗い照明の下で、地獄につながる節穴のような目が和徳に向けられ、思わず息を飲んだ。狂った目だった。

「知君、ちょっと話せないか」

それだけ言うのが精いっぱいだった。青白い無表情な顔は、全てを跳ね返していた。

少し間を置いて、「ちょっと話したいんだが……」と言った時だった。虚ろな、艶消しの、全く話す気のない声が響いた。

「ウルセンダヨウ。ウルセー」

同時にゴミ箱が飛んできて和徳の首に当たり、ゴミが飛び散った。呼吸が止まる思いだった。それ以後、飲んで帰ることが多くなり、真面目だった和徳の態度が荒れ、家の中も乾き切った、尖った空気になっていった。

(未知夫君の気持ちもわかるし、両親の気持ちもよくわかる。あの夫婦は大丈夫だろうか)そう考えながら和徳は出勤した。

【前回の記事を読む】崩れ去った幸せに絶望する日々。或る日昼食を運んでいった時だった。「弱ってしまうから、食べてね」それを繰り返すと、息子の腕が振られ......

次回更新は1月29日(水)、21時の予定です。

 

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