金魚がいなくなっても、次にやってきたメダカがいなくなっても、水槽のエアーポンプはそのままだった。水だけになった水槽で、いつか来るかもしれない魚のために空気を吐き出し続けた。父や田所のような人間に理屈は通じないのだ。理屈の通じない人間相手に取れる手段は一つだけ、関わらないか実力行使あるのみだ。
「んんっ……うんっ!」
田所が身を捩りながら雪子を睨む。憤り、不満、非難、そこに必死さが追加されてはいるが、市役所の窓口で好き勝手に喚き散らしていた時と同じ目だ。
この男はまるで反省をしていないのだ。悪い子にはお仕置きをしなければ。
雪子は田所の顔を左手で押さえつつ、指で瞼をこじ開けた。見開かされ興奮に揺れる瞳に、落ちていた安全ピンの針を突き刺す。ぷちんと少し硬い膜を破り、ぷにゅっと柔らかい感触に針が沈んだ。イクラの粒を噛みしめるような感触が新鮮だった。
「へぁっ、ひっ、ひぃぃ」
皺だらけの口から、おかしな声が漏れる。構わず針で眼下をぐりぐりほじり続けていたら、血と一緒に内容物がどろりと流れ出てきた。
「ううううっ」
田所が床の上で転げまわる。萎びた体に埃がくっついて、まさに粗大ごみだ。雪子は声を上げて笑った。
「あなたのバカみたいな言いがかりには、いい加減うんざりしてたんです。職員にはなにを言っても大丈夫だって、安心してましたよね? でも世の中、絶対に安全な場所なんてないんですよ」
「ああっ、ああっ」
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次回更新は2月4日(火)、22時の予定です。
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