しかし、つねは信吾に万一のことがあったらと考え、剛三との間に生まれる子供を産むのを躊躇しなかった。

剛三の先妻が、ホオズキの根っ子を使った堕胎に失敗し、病原菌が原因で、高熱に苦しみながら死んでいったという話も、聞いていた。

とはいえ、一家の財布を握り忙しく働いていたつねは、生まれてきた赤ん坊に乳をやるくらいで、おむつの替えや、泣くのをあやすなどの面倒は専ら兄姉たちの役目だった。

なかでも、長兄の徳一は、「チーちゃん、チーちゃん」と呼び、千津を可愛がった。

ハイハイをして動き回るようになると、徳一は柱にもたれ、足をあぐらに組む中に彼女を座らせた。

そこが彼女の定位置となり、歌が好きな徳一が唄う、「ラバウル小唄」や「パラオ恋しや」等々の戦時歌謡、あるいは「旅傘道中」「大利根月夜」等の股旅演歌が、彼女にとっての子守唄であった。

千津は長福寺が経営する幼稚園に、三年間通った。忙しい一家にとっては、子供の面倒を見る手間を省くことができた。彼女はそこで覚えた童謡や遊戯を、毎晩のように、家族の集まる座敷で台の上に乗って披露した。

兄姉たちは笑い、手を叩いてはやし立てた。千津は、ラジオから流れる、小鳩くるみや松島トモ子たち童謡歌手に憧れ、まねをした。

大勢の兄姉たちから、何やかやと世話をやいてもらっていたので、年長組となった千津のところに、年少の女の子たちが、

「お姉ちゃん」

と親しげに寄って来ても、どう接していいのかわからずに戸惑い、家でも客が来るとすぐに奥の部屋に隠れてしまう、おぢくそ(臆病)な子供であった。

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