もともと感じやすい性質を持っただいちゃんに、これでもか、これでもかと辛い現実は牙を剝いてかかってきて、だいちゃんの心を揺さぶっていた。その時のだいちゃんの荒れようは、今思い出しても痛々しい。
まわりにいる子に意味なく喧嘩は売るし、先生に反抗してばかりいるし、無断で教室を歩き回ったり出て行ったり、もうめちゃくちゃだった。そういう形でしか自分の悲しみを表現出来ないだいちゃんに、僕の方が何度も泣きたくなった。
喜びも悲しみも人より激しくて、内にあるパワーを自分でも持て余して、それを受けとめてくれる人もいないまま、だいちゃんは迷子になっていた。ほうっておけばいつ暴走するかわからない、そんな危うさがあの頃のだいちゃんにはあった。
同じ歳で、経験のない苦しみの中にいる友人の前では、僕のちっぽけな反抗期なんて、恥ずかしいくらい小さいものに感じた。
定期的に会えていたお母さんがよそに新たな家庭を持つという現実は、十二歳の少年の心にどれほどの孤独や痛みを与えるものなのだろう。
当事者でない僕は、想像するしか出来なくて、そしてその想像は、所詮想像を超えるものではなかった。だから、かけてあげる言葉も見つからないまま、僕はただだいちゃんの側にいてあげることしか出来なかった。
中学にあがって、平良先生という良き理解者を得て、だいちゃんは良い方に変わった。牙を隠せ、とか、そこはお前が一歩引け、とか、他の子には言わないようなことを平良先生はだいちゃんには求めて、誰よりも厳しい指導を受けていたけれど、でも褒めてくれる時は、ものすごく褒めてくれるんだとだいちゃんは言っていた。