ここに庶民との常識のずれが生ずることが起こる。そもそも武田のようにいろいろな参考書を手に入れ、情操に役立つであろう習い事を受け、優秀な家庭教師から教わる等、恵まれた教育環境が得られるのは裕福な家庭なのである。

このような環境下で、勉強に打ち込み、いい成績を取ってさえいれば両親は喜び、食事にも生活にも何一つ苦労したことがない生育を受けた者の常識は、多くのサラリーマン家庭や農業の家庭のように食費や被服費等の生活費を気にしながら生育してくる者の常識とはおのずと異なることになる。

この感覚のずれは、多くの一般的、またはそれ以下の経済環境で育った人々の間に起こる民事、刑事の事件の背景を判断するのに困難な事態を招来することとなる。そのため、動機や背景を斟酌せず(というか、そもそも理解できないのだから、判断の資料とすることができないのはやむを得ない)、法律の機械的な適用となる傾向を生む。

例えば、殺人事件の判断で、被害者が一人なら死刑にならないが、二人以上なら死刑になり得るという考えがある。それによれば、その動機や殺害の方法等、それぞれに違いはあるにもかかわらず、単純に被害者の数で判断される傾向にある。

これでは、例えば被害者が一人でも、金銭目当てに残虐な殺し方をしても死刑にならず、被害者が二人以上であれば、障害や被害者側の落ち度などその動機等に斟酌すべき事情がある場合でも、死刑になる恐れも生ずることとなる。

これはやはり問題であるのだが、ここにその事件を裁く裁判官の個人的な常識や経験の差が出ることになる。この差は、特に、刑事事件を裁く裁判官としては非常に危険な傾向となるのである。家庭裁判所で夫婦関係などの家事事件を扱う場合にも、男女の機微に対する理解がないままに判断が下されることは極めて恐ろしい。

背景事情を捨象してただ法律を正確に適用していくのであれば、もはやAIが対応すればよいという考えが生じてくるのもやむを得ないかもしれない。

  

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