第一章  ギャッパーたち

(三)武田賢治

ただ、武田自身はギャンブルもスポーツもやらないので、実際には、このような差別を体現したわけでも体験したわけでもない。それでも、このような庶民的な価値観とは無縁の人間だけが帝都大に行くものだと思っていた。

ところが実際に帝都大に入学してみると、同じ帝都大生といっても、武田とは違って、田舎で育ち塾にも行ったことがなく、というか、そもそも学習塾などなかったし、娯楽といえばテレビくらいしかないから、もちろん漫才やバラエティーの番組を観て育ってきたが、それでも頭がよくて特別に苦労することもなく普通に帝都大に入ってしまい、そのまま大した勉強もせずに裁判官になってしまった者もいる。

武田は、こういう人間も全く理解できないし、理解しようとも思わない。こういう奴は一種のバグのようなものだと思っているので、特段、帝都大の評価も変わらない。

そして帝都大では、学生はもともと群れたり、無理に友人を作ろうとすることもない。一人一人が個性が強く自分の世界を守っているため無理に人に合わせようともしない。だから、帝都大の同級生の価値観が違おうが庶民的であろうが、武田には関係がないし興味もない。

武田の世界では、あくまでも、あらゆる知識、常識は本から得るものであり、それで十分なのである。実際に自分が体験できる範囲などごくごく限られており、さらに他者との交流などそんなことに時間を使うこと自体が無駄であるし、そんな小さな範囲での経験則など、普遍的ではないからしょせん役には立たないと思っている。

本からであれば、人との無駄な交流もないので時間もかからず、効率的にあらゆる知識を得ることができた。こうして得た自分の経験則や常識こそが絶対と思っている。

ただ、小説家の描く世界が特異な感覚に基づくものであったり、特殊な領域や世界に関するものであったりしても、比較できないまま吸収するのでそれが武田の標準となってしまうこともある。しかし、それも多くの書籍に当たれば特殊な考えは排除されるので問題ないと思っていた。