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夏休み中、私は嫌でも母と顔を合わせる機会が増えた。
私の家は母子家庭で、母はショッピングモールの家電売り場で働いている。朝六時に起きてお弁当を作った後、八時には家を出て夕方の七時に帰ってくるというのが母の生活パターンだった。そして休みの日は一日中狭いアパートに籠もっている。
母はかなり神経質な人間だった。物の置場には特にうるさく、私がテレビのリモコンを少し動かしただけで、気づいたときには元の指定の位置に戻されていたし、靴を脱ぎっぱなしにしていると、勉強中でも構わず「靴を揃えなさい」と言ってきた。
音にも敏感で、テレビの音量が十五を超えると文句を言われ、音楽は必ずイヤフォンで聞くように言われた。
しかし昔の母はこれほど神経質な人間ではなかった。母が変わりはじめたのはおそらく父と別れてからだった。父は七年前、私が八歳のときに家を出ていった。母はそのとき三十六歳だった。
出て行った理由は父が外に女を作ったから、らしい。らしいと曖昧なのは母が私に詳しい理由を教えてくれないからだ。二人は私のいないところで話し合い、勝手に結論をだした。
父はある日、私が寝ている間に出て行った。何も知らない私は仕事に行ったのだと思い、夜になっても帰ってこないので母に尋ねると、「もうあの人は帰ってこないよ」という答えが返ってきた。
私は「どうして?」と尋ねたが、母は「あの人は出て行ったんだよ」と苛立たしそうに、まるでうるさい蠅を追い払うように答えた。私の「どうして」は結局解明されないまま、それ以上聞くことはできなかった。
母は教えてくれなかったが、父に女がいた形跡は別れる前から感じていた。二人は別れる一年前ぐらいから喧嘩が絶えなかった。おそらくその原因も女だったのだろう。
そのときも今と同じアパートに住んでいたが、夜寝ているとよく二人が罵り合う声で目覚めた。母は父を「女たらし」とか「浮気者」とか言って責めていた。言葉の正確な意味は幼い私にわからなくても、それが父にとって不名誉な言葉であることくらいはわかった。
【前回の記事を読む】先生への思いは大きく私の心を支配した。皮肉に満ちた笑顔、優しく包み込むような笑み。数分間話しただけで、いくつもの知らないあの人を見た。
次回更新は1月1日(水)、22時の予定です。
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