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二人が結婚したのは私が生まれる二年前だった。父がまだアパートにいた頃には、結婚式の写真が本棚の一番目立つところに飾られていた。父は緊張しているのか、顎を少し引いてカメラを睨みつけるように見ていた。母もまた笑おうとして明らかに失敗していた。

それでも純白のドレスに身を包んだ母は美しく、父も人生に対する覚悟を決めた男の顔をしていた。二人とも数年後に待ち受ける運命などまったく知らず、幸せに満ち溢れていた。

何が二人の間ですれ違いを生んだのかはわからない。時間とともにお互いへの関心が薄れたのか、あるいははじめは小さかった価値観のひずみが時間とともに修復不能なほど大きくなったのか。いずれにしても、二人が十年間の結婚生活の果てに出した結論は別れることだった。

幸いにも父はちゃんと養育費を毎月払う人間だった。それは今でも母の銀行口座に振り込まれている、らしい。やはりらしいとしか言えないのは、母がはっきりそのことについて言わないからだ。

でも、母子家庭でありながら、母がいくつも仕事を掛け持ちしないですむのは父からの振り込みがあるからだろう。そうした点では父が出て行ってからも生活面で困ることはなく、高校の入学金も授業料も今のところは滞りなく支払われているようだった。

私の父に対する思いは多くも少なくもなかった。一緒にいたときはもちろん遊んでもらったり、勉強を教えてもらったりしたが、今ではどれも断片的な記憶しか残っていない。

その中で一番鮮明に覚えているのは、三人で旅行に行ったときのことだ。家族で遊覧船に乗り、父に肩車してもらった記憶が今も頭に焼き付いている。父の肩に寄りかかって笑っている母の顔も。遊覧船は波一つない水の上を動いているかわからない速度で進んでいた。

今ではそれがどこの湖なのかも確かめようがない。母に聞けばわかるのかもしれないが、封印された過去の扉を開けるのは躊躇われた。良い思い出は良い思い出のまま残しておきたかった。