本当に、ひょんなことから厳冬期の剱岳に来ることになったのだった。しかも、まさか鬼島とペアを組むとは、川田は夢にも思っていなかった。
鬼島は当初、他のクライマー二人とともに、所謂「パチンコ」をやる予定だった。
パチンコとは、冬季には釜トンネル手前のゲートから車両通行止めとなる上高地に入り、屏風岩の大氷壁を登り、前穂高岳の北尾根を登攀し、途中で奥又白谷側に下降して前穂高岳東壁を登り、さらに奥穂高岳、北穂高岳と進んで滝谷の氷壁を登り、大キレットを越えて槍ヶ岳から北鎌尾根を下山、最後に唐沢岳の幕岩の大氷壁を登る山行のことで、ピークに登ったあと、また下って氷壁を登り返し、またピークに立っては下ってまた登り返すことを繰り返すため、「パチンコ」と呼ばれていた。
ヒマラヤの、近年では多くの登山者が登るようになった一般ルートではなく、例えばエベレストにしても南西壁などの難ルートに挑むエキスパートクライマーが国内の事前トレーニングとして行うものであり、相当の技術と体力、精神力がなければ達成することはできないものだった。当初は川田もパチンコに誘われた。
しかし、サラリーマンである川田は休暇の問題もあり、そしてそれ以上に、甚だ自らの技量不足に不安を感じ辞退したのだった。
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次回更新は1月2日(木)、8時の予定です。
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