小さな旅―① 今回も新たな知見あり

昨夜半からは一晩中冷たい小雨が降り続き自動車の屋根を叩いていました。

車を大きな紅葉の大木の下に駐車していましたので、パラパラと時にリズムよく、時に不規則に雨雫が車の屋根に落下する音が睡魔で夢うつつの耳に木霊していました。

自然の中の人間の孤独な悲哀と悦楽とをともに味わいながら、いつの間にか眠りに就きました。自然と向き合い肌で実感することは、己を謙虚にさせてくれます。

昨夜の残りのパンとおにぎり一つ、お茶で簡単に朝食を済ませました。屋外キャンプ場の水で顔を洗って出発です。まだ薄暗い5時。雨は小降りです。

土山方面へは、1号線に出て大津、栗東へ 40キロの位置。その後琵琶湖大橋経由堅田、浜大津方面へ。坂本の西教寺到着。このころようやく雨が上がってきました。

西教寺山門はなかなか立派です。中から早朝の厳かな読経の響きが聞こえます。20人ほどのお坊さんが本堂で朝の勤行をし、信者が参篭しておられました。毎朝こうして僧侶が全員でお勤めする寺は今や少なくなってきています。この西教寺さんは叡山の高僧真盛上人建立の真言別格総本山であるらしい。

明智光秀の墓があります。私は丹波出身なので明智の名は懐かしい。福知山では明智光秀は善政を敷いた良い領主であったといわれています。今も「福知山音頭」という盆踊りの歌詞に記されています。

ここの宗祖御廟関係者で、50年前の私の保育のゼミ学生は今どうしているか懐かしい思いがこみ上げてきました。この寺で合宿をさせてもらった記憶が蘇えってきました。一度消息を尋ねたいと思っています。

坂本は明智の坂本城が築かれた場所です。今は湖畔にわずかに城跡の記念碑が残るのみで、当時の城の敷地は普通の市街地になっています。

いよいよ比叡山に向かいます。

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