後、何年間生き続けることができるかわかりませんが、その間、大きな病気をして、手術をしたり、介護が必要になり、介護保険が必要にならないとも限りません。家族に迷惑をかけないで生涯を全うできると信じていますが、神のみぞ知る、という心境です。
最後に一番難しいのが「孤独を楽しむ」ことです。「孤独」は、別の見方をすると「自由」という生き方に通じます。
周りの人との同調を気にし、自分の気持ちを抑えて生きることを放棄するためには、「孤独」な生活が必須ではないでしょうか。ただし、「孤独」は「孤立」とは別物です。周囲に多くの人がいても、独りぼっちで誰ともコミュニケーションがとれなければ、それは「孤立」以外の何物でもありません。
三木清は「孤独」について、著書『人生論ノート』のなかで「孤独というのは独居のことではない。独居は孤独の一つの条件に過ぎず、しかもその外的な条件である。むしろひとは孤独を逃れるために独居しさえするのである。隠遁者というものはしばしばかような人である」と語っています。
これまでの人生では、人の期待に合わせ、他者の目を気にして自分の事は二の次でした。
それがみんなの幸せであったからでした。みんなの幸せが、自分の喜びでもありました。
そんな世界からは卒業です。
また、三木清が言う「孤独は内にこもることではない。孤独を感じるとき、試みに、自分の手を伸ばして、じっと見つめよ。孤独の感じは急に迫ってくるであろう」、この心境はまだ自分には経験できていませんが。
これからは、自分が世界の中心です。残り少ない時間を孤独のなかで、自分のためだけに自由に使って生きることで「黄金期」を乗り切ることができると思います。