(3)学校の相対化

学校の相対化に通じる議論は森田氏が最初ではない。それどころか、森田氏の著が学校制度を維持する前提で書かれているのに対して、以下に挙げる著は学校制度そのものの存在価値にまで踏み込んでいる。

例えば、歴史学を専門とするイヴァン・イリッチ(Ivan Illich、一九二六-二〇〇二)は、学校制度そのものを廃止すべきだと主張している。

「……教育の過程が社会の脱学校化から利益を得るであろうということには疑念の余地がない。たとえこの要求が多くの学校関係者にとっては教育に対する叛逆のように聞こえるとしても。しかも今日学校の中で消滅させられつつあるのは、教育そのものなのである。」

(イヴァン・イリッチ、東洋・小澤周三訳(一九七七年)『脱学校の社会』東京創元社「現代社会科学叢書」、五三頁)

さらに遡れば、歴史学者P・アリエス(Philippe Ariès、一九一四-一九八四)は、すでに一九六〇年において、「子供」という概念が近代になってから確立したものだとした上で、大人と子供を区別することや学校制度を当たり前と考える子供観に疑義を呈している。

「子供は長い歴史の流れのなかで、独自のモラル・固有の感情をもつ実在として見られたことはなかった。〈子供〉の発見は近代の出来事であり、新しい家族の感情は、そこから芽生えた。」

(「現代社会科学叢書」みすず書房ホームページ書誌情報 https://www.msz.co.jp/book/detail/01832/)

アリエスは、この「近代の出来事」について以下のように述べる。

「教育の手段として、学校が徒弟修業にとって代った。つまり、子供は大人たちのなかにまざり、大人と接触するうちで直接に人生について学ぶことをやめたのである。多くの看過や遅滞にもかかわらず、子供は大人たちから分離されていき、世間に放り出されるに先立って一種の隔離状態のもとにひきはなされた。この隔離状態とは学校であり、学院である。」

(P・アリエス、杉山光信・杉山恵美子訳(一九八〇年)『〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』みすず書房、三頁)

つまり、学校という制度は近代という時代の要請によってつくられたものであり、徒弟制度の時代には、大人から人生に関する多くの大切なことを直接学べる機会があったのに、学校制度ができたがためにその貴重な機会が奪われたとして、学校制度を普遍的なものと考えることに疑義を呈したのである。

  

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