だが父親が戦争末期に軍属として関東軍の工兵隊に徴用されてから一家の暮らしは暗転する。一年もしないうちに敗戦。父親の部隊はソ連軍に捕まりシベリアに抑留された。

男手のないまま一家は敗戦を迎えた。長女が十六歳、勇作十歳。他に三人の十四、十三、七歳の兄弟がいた。

一年半の間売り食いのタケノコ生活でしのぐ。その後彼ら一家は日本人の知人を頼って中朝国境の町・安東(今の丹東)まで歩いて辿り着いた。

だが当てにしていた知人は一足早く日本へ引き揚げており、安東でもう一冬過ごした後に、一家は何とか船賃を工面して鴨緑江(ヤールーチャン)の北鮮側の対岸に着き、そこから三十八度線まで一昼夜の徒歩行。ようやくアメリカのリバティー艦船に乗って引き揚げてきた。着いたのは博多港だった。

母に貧しい人たちを笑ったり馬鹿にしたりしてはいけないと厳しく言われていたので口に出しては言わなかったが、僕はこの無愛想な同級生に密かに〝ふぐちょうちん〟という仇名を付けた。

気に入らないことがあると文句をつける代わりにぷっと頬をふくらませる。その顔がふぐちょうちんにそっくりだったからだ。どん底の生活の中で、勇作の一家は父親さえ帰ってきたら何もかも良くなると信じている風だった。

僕はその内に勇作のことは忘れてしまっていただろう――もし彼に目の覚めるようなきれいな姉さんがいなかったならば。

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