第二章 伝統的テコンドーの三つの要素

型の精神的側面

型は、その人物の心を映し出す。型を行う時の動き方、スピード、正確さ、積極性は、その時の体と心の状態を明確に表している。年を重ね、精神的に成長していくと、型に対する考え方や実践方法も変わってくるだろう。知識を増やし、練習を重ねていけば、生徒にとって動作一つひとつが意味のあるものとなり、個人の様々な解釈が型の表現にも反映される。

また、型の動きへの理解も深まり、豊かな表現力が身に付くであろう。テコンドーマスターらは、型の動作について独自の解釈を強調し、指導方法やその基盤となるテコンドー哲学において、他の先生や道場との差別化を図る。生徒の究極の目標は、流れるような動きの中で自己表現する方法を学び、型を完璧にこなす事である。

テコンドーでは完璧を求めて努力を重ね、その目標達成のため一身を捧げる。しかし、完成の域に達するというのは、永遠に叶うことのない目標でもある。大切なのは、力の限り完璧に近づこうとする努力の過程である。西洋文化では、プラトンの「国家」に記された洞窟の比喩が、それに似た概念と言える。人には常に自己改善の余地があり、そのためには絶えず変化と前進が必要である。

また心、体、精神の進化が求められる。完璧の域に達するという事は、その進化の終わりを意味し、練習の必要性も人生の目的もなくなってしまう。このような自己改革に対する永遠の戦いは、自分の尾を食べる神話上の蛇、ウロボロスによって象徴されている。ウロボロスは輪になって、己の古い尾を咥えて食し、さらに大きく成長する。神話上、自身の進化は、老いた体を捨て新しいものを手にいれるという事ではなく、絶えまない変化の上に成り立っている。

不完全なのは人間にとって当然のことであるが、同時に完璧であることを切望するのも人間の性である。型は、動作と心の集中力を高め、それらを鍛えあげる構成となっている。型は、人間の基盤となる体、心、精神の調和を生み出すが、この三つのバランスは、人によって様々で ある。

体の動きが調整されれば、ホメオスタシス(恒常性)は、新しい状態を保とうと機能する。つまり、動作の質、機敏性、柔軟性が向上したり、体力が増大したりすれば、同時に心の状態も良くなるというわけである。姿勢や型の構え方は、心の状態にも影響を与えるので、それらが変われば自分に対する見方も変わるであろう。

こうして生徒らは、テコンドーを通じて、正しい姿勢の作り方を学んでいくことができる。姿勢を変えれば、自身のイメージや心の状態にも変化が現れる。簡単な例を挙げるなら、人は楽しい気分でなくとも、笑顔になればたちまち気分がよくなる。正しい姿勢を保ち、様々な動作をマスターしていけば、健康状態も向上し、維持することができるだろう。

体は常に「使わなければ 駄目になる」という考えに基づいているので、できる限り色んな動きができるよう体を維持していく必要がある。またこれは、健康だけでなく、個人の自尊心にも大きな影響を与える。

型を覚えて優雅に実演できれば、個人にとって偉大な功績となり、気持ちの面でもプラスになるだろう。型について幅広い知識を身につけ、組み合わされた型の動きを習得することは、記憶力を向上させるだけでなく、自分の体をコントロールできた証でもある。これは、テコンドー生徒にとって、自分を律する力を取り戻す一つの方法である。

型を学ぶ過程で、自身のコンディションを調整し、体、心、精神の調和を作り出す。調和とは固定されたものではなく、流動的なものである。自分の体を上手く調整できれば、三つのバランス状態も自ずと整えられる。そしてこのバランス状態は、人によって様々であり、似たような状況にあっても全く同じになる事はない。