いたずら半分に強く吸ってみたがなんの反応もないので顔を上げると、先生は窓の方へ首をねじり目を閉じて、口を真一文字に結んでいる。痛かったのか。ならそう言えばいいのに。ねじった首に幾本もの皺が寄っている。たまらなくなってそこを軽く噛んだ。今度は低い声が洩れた。
四十女の首筋の皺を愛しいものに感じる自分が信じられない。下腹に指先を這わせて帝王切開の痕をなぞった。五年は経っているはずなのに、臍(へそ)の少し下から恥骨に掛けて一直線に伸びた手術跡の一部が、終わりかけの線香花火みたいに赤く膨らんでいる。
自分はケロイド体質で傷口がなかなかきれいにならないのだと、初めて肌を合わせたときに先生は恥ずかしそうに言っていた。
美津子のシミひとつない腹には盲腸の手術痕があった。俺はそれがあまり好きではなかった。白磁(はくじ)の壺に一箇所だけ闕(か)けがあるようなもので、完璧なものの価値を減じる汚点に等しかった。
しかし、今の俺にとって松嶋先生の身体というのは、完璧だの汚点だの、まるで関係がない。あと三、四年もすれば立派な二重顎になりそうな首筋の消えない皺も、腹の手術痕も、左の足裏にある大きなほくろも、すべてが松嶋先生を構成する大切な要素で、どのひとつが欠けても俺の松嶋先生ではなくなってしまうような気がするのだ。
そんな気持ちが厄介に思えてくるときもある。そんなときにはセックスの相性がいいことからくる、単純な執着心なのだと自分に言い聞かせてみる。だが効かないマジナイのようなものだ。日に日に、松嶋先生の後ろ髪を引っ張っているものを、この手で断ち切ってやりたいという想いが強くなっていくのだ。住んでいる場所がよくないのかもしれない。