大阪編

小康

「私の名前は、夕方の未来は明日という意味で父がつけてくれたそうです。とても気に入っています。だから角野さんに夕未、って呼んでもらいたかったのですが、諦めます」

「とても素敵な名前だと思うよ」

「ありがとうございます」ビールが運ばれてきて、水島夕未が冷えたグラスに注いでくれた。

「それでは、私の名前に乾杯してください」

「じゃあ、水島さんの名前に乾杯」

「ちゃんと名前言ってください」

「じゃあ、一度だけ。夕未という名前に乾杯」

「ありがとうございます。でも、一度だけは余分です」食事が運ばれてくるまで少し話をした。

「実は私は角野さんと同じ東京出身です。私が高校生のとき、父が大阪の子会社に転勤になったので、私もこちらで就職しました。2年前に父が別の子会社に転勤になって四国の高松に引っ越してしまったのですが、私は大阪に残りました」

「そうか、だから水島さんだけは標準語に近いんだね」

「皆さんと話していると関西弁少しうつってしまいますけど」

「そうだね。僕もときどき話し方がおかしくなるよ」

「いえ、それが大阪では普通の話し方です。ここでは、角野さんの話し方の方がおかしいんですよ」

「確かに」

「少し関西弁を練習される方が売り上げも伸びるかもしれません」

「やっぱり、君もそう思うかい」

「営業所の外ですから、君ではなく、水島か夕未でお願いします」

「じゃあ、水島さんのアドバイスに従って関西弁の練習をしてみるよ」

「練習、お付き合いします。ときどき、また食事にも誘ってください」

誘っていただけるときはショートメールを送ってくださいと言われ、携帯電話の番号を交換した。水島夕未はこの近くのアパートに住んでいるそうだ。今日は気持ちが和らぎ、ビールも夕食も美味しく感じられる。こんな気持ちになれたのは何ヵ月ぶりだろう。

「水島さんのおかげで楽しい夜だった。ありがとう」勘定を払って外に出た。

「ご馳走様でした。私もとても楽しかったです」「遅くなってしまったから送っていくよ」

「本当ですか。ありがとうございます」

水島夕未のアパートは定食屋から5分くらい歩いたところにあって、僕のアパートとは反対方向だった。アパートと聞いていたけれど、結構瀟洒(しょうしゃ)なマンションだ。

「送っていただき、ありがとうございます。少し寄って行かれませんか?」

「今日はこれで失礼するよ。ありがとう」

「今日は、ということは、いつか寄ってくださるかもしれないということですね。楽しみにしています。おやすみなさい」

なんだかずっと押されっぱなしだった。魅力的だけれど、妙に理屈っぽいところがある不思議な女性だ。でもおかげで今日は気分も少し明るいし、アルコールも入っているので、ゆっくりと眠ることができそうだ。