大阪編

暗転

家族と離れ初めての一人暮らしになったけれど、最初の頃はほぼ毎日のようにオンラインで琴音と大輝の顔を見ながら話をして、東京で一緒にいた頃より共有する時間が多かったくらいだ。

2人が知らない大阪の話をして、スマホで撮影した写真や動画で大阪の街の様子を見せながら説明をした。車の売り上げも、東京のお客さんが紹介してくれたお客さんが何台か購入してくれたこともあり、滑り出し順調で何もかも上手くいくと信じて疑わなかった。

少し気になったのは車が売れたときに所長があまり喜んでくれなかったことくらいだ。若いのに本社から子会社の営業所副所長として出向し、業績を回復させたらその実績を持って本社に戻ると思われたのか、歓迎されていないことは明らかだ。

最初の1ヵ月を過ぎると、新しい顧客を開拓できず、車がほとんど売れなくなった。初めての関西で周りには知らない人ばかり、なかなか馴染めなかった。お客さんもほとんどが関西弁で、それだけが原因ではないと思うが標準語の接客ではなかなか成績が伸ばせなかった。

あるときなど「兄ちゃん、何すかした言葉喋ってんねん」と言われ、今まで培ってきた接客方法の根底が揺らいでしまった。業績を伸ばせない僕に所長は嬉しそうに声を

かけてきた。

「最初は、若いのに結構売るやないかと感心したけど、続かへんかったな」

木南所長はまだ40代半ばなのに、小太りで髪の毛も薄くなった脂ぎった中年だ。部下がたくさん売ったときではなく売れないときに嬉しそうな顔をする所長。

この営業所の成績が上がらない理由はこんなところにもありそうだ。10人以上いる所員の中に楽しそうに仕事している人はなく、暗い雰囲気だ。これでは、お客さんの購買意欲も高まらないだろう。売り上げを上げるための提案をいくつかしてみたが、そのたびに所長はいろいろな理由をつけて取り上げてくれない。

副所長として営業所を支えようにも所長がこれでは難しい。このようにいろいろと考えることができていた頃は僕の精神状態は普通だった。若い人と 1人ずつ話をして活性化していこうと試みたが、自分自身の実績も出ない中ではそれもなかなか難しく、若手所員の気持ちを掴めない状態が続いた。