人生は意外と簡単に暗転する。

上手くいかないことが積み重なっていき、だんだんと仕事に対する意欲が低下していった。なんとも言えない不安感で気持ちが沈み、夜寝付けず、朝起きられなくて、仕事に遅刻していくこともあった。

営業所にいても、ただ漫然と時間を食いつぶしているだけである。それだけではなく、1日前のことも忘れることが多くなり、仕事の効率が極端に下がった。こういうときにそばに琴音がいてくれたら、ここまで落ち込むことはなかっただろう。

僕の成績が上がらないことを喜んでいた所長もさすがに心配になったようだ。部下が精神的な問題で潰れるのはきっと勤務評定に響くのだろう。総合病院のメンタルヘルス科を受診することを所長に勧められた。大阪に来たときは、まさかこんなふうに坂道を転がり落ちることになるとは考えもしなかった。

でも実際には、深くて暗い海の底に向かって沈んでいくような感覚に陥ってしまった。

病院では鬱状態と診断され薬を処方された。確かに薬を飲むと不安は和らぐが、日中眠くて仕事への意欲がさらに下がってしまう。主治医はいろいろな薬を試してくれたが、どれも似たりよったりだった。薬を飲んでも飲まなくても上手くいかない。どうにもならない焦燥感に駆られた。

こんなことなら自ら出向を希望して大阪に来るんじゃなかった。ほんの少し我慢して、高い車を買ってくれるお客さんに車を売っていればよかった。家族と離れて関西まで来て中古車を売ることが、本当に僕がしたかったことなのだろうか? 

親会社から子会社に移って中古車を売りたいと琴音に伝えたときに「心配だけれど、それが和希のしたいことなら応援する」と言ってくれたときには琴音に感謝したけれど、今となっては、どうして反対してくれなかったのかと思ってしまう自分がいる。

家族との連絡も徐々に間遠になった。琴音は何かあったのかと心配したようで、大丈夫?と何度も聞いてくれた。でもメンタルクリニックに通っていることは話す気になれず、仕事が忙しいからと言い訳していた。

月に1回の週末の帰省もしない月もあった。琴音は大阪で僕が浮気でもしているんじゃないかと心配しているのかもしれない。でも浮気できるだけの元気があったら楽だろうなというのがその頃の僕の気持ちだった。

赴任した年の年末に正月を家族と過ごすため東京に戻るときも、正月のいろいろな行事にとても気後れし、帰りたくない気分だった。でも帰省しないという選択肢は現実的にはあり得なかった。

【前回の記事を読む】本社勤務を捨て、自ら出向願い。「高価な新車を売るより、安くてもいい中古車を車が本当に好きな人に売りたい」

次回更新は12月8日(日)、8時の予定です。

 

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