出向は翌年の4月であった。東京勤務を希望したのだが、売り上げが落ち込んでいる吹田営業所を助けて欲しいということで関西に行くことになった。売り上げ成績が良かった僕が自ら希望して東京本社から中古車販売会社へ出向することは、社内や顧客から驚きを持って迎えられた。何か問題を起こしたのではいう噂も流れたようだ。
妻の琴音は同じ大学の1年後輩で、同じ音楽系のサークルに所属していた。僕が2年生のときに入部してきた琴音は目がくりっとしたワンレンボブの細身の可愛い女の子だった。一目惚れした僕はすぐに交際を申し込んだ。
いきなり交際を申し込まれた琴音はもちろん当惑していたが、僕が強引に誘い出して何度かデートしてガールフレンド、そして恋人と言える関係になった。僕の残りの学生時代はずっと琴音と一緒だった。
琴音は浅草の和菓子屋の末っ子として生まれ、両親にとても可愛がられて育ってきたようだ。屈託のない性格の明るい女性だ。甘えん坊なところもあるが、芯はしっかりしている。
一方の僕は一人っ子として生まれ、やはり両親の愛情を一身に受けて育った。周囲の人には常に前向きで明るい性格と思われているようだが、実際は少し落ち込むことがあるだけでクヨクヨしてしまう。そんな僕が弱ったときは琴音が上手く支えてくれた。
そして僕の就職を機に、僕らは結婚した。琴音はまだ大学4年生だった。自分でもしたい仕事があったと思うが、大学を卒業したら自然な感じで専業主婦になった。
結婚後、5年ほどして息子の大輝(ひろき)が生まれたときは本当に嬉しかった。大阪転勤のときは大輝がまだ小さかったし、琴音の両親が近くにいる豊洲のマンションにそのまま住みたいということで、僕は単身赴任をすることになった。結婚5年目に生まれた大輝はまだ3歳になっていなかった。
そして東京と大阪での別居生活が始まった。今考えると、この選択が良くなかった。
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次回更新は12月7日(土)、8時の予定です。
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