雅子おばさんに挨拶をして店を出る。初めて知ることばかりだ。でも日誌のある場所は皆目見当がつかない。

家に帰り、何か母の行動がわかるものはないかと考える。母は日記は書いていなかったし、手帳も持っていなかった。母の荷物がまだ入ったダンボール箱を眺める。あるダンボール箱を見た時、その箱に書かれた「家計簿」という文字に目がとまる。家計簿があった。

母は几帳面な性格だったので、どんなことも家計簿に書いていた。これを見れば母の行動も把握できるはずだ。

3つのダンボール箱には結婚してからの23年間分の家計簿がぎっしりと入っていた。結婚した当時の家計簿から順に見てみる。母の結婚したばかりの初々しい決意も書かれてあり微笑ましい。

父が最後の調査へ中国へ出かけた時も、毎回調査に行く時と同じように無事に帰国してくださいと旅費の項目の横に書いている。父が亡くなってからは家計簿にも動揺があるのがわかる。

葬式でも涙が出てこなかったが、これを読んでいるうちに嗚咽がこみあげ、涙が止まらない。当時10歳の僕の前では気丈に振舞っていたが、実際は途方に暮れていたのだ。

運が良いことに、母方の祖父も亡くなっていて、アパートを所有していたため家賃収入が多くはなかったが、毎月入ってきたし、それ以外も母は薬膳料理を研究し、生徒をとって教えるようになり、本を出すまでになった。そうやって稼いでくれたおかげで、僕は何不自由なく育った。

ここ3年、母は病気がちで、頻繁に病院に行っていた。領収書も病院のものが多く、薬代も増えるばかりだった。また、この家計簿で初めて知ったことが多いが、病気になって通院が始まった頃から、母は頻繁に教会に行っている。それは教会への寄付という項目からわかる。

母がキリスト教徒になっていたなんて全く知らなかった。どこの教会に行っていたかは、すぐわかったので、とにかくその教会に行ってみることにした。

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