プロローグ

水の都とはよく言ったものだ。

個人の家まで船着き場があり、自転車を乗る感覚で、

船をあやつり買い物に出かけて行く。

ここはベネチア。

この街に何度も来るなんて思いもしなかった。

でも、この街から僕の冒険は始まった。
 

第一章   母の死と父の面影     

 1

母は癌だった。これで母が苦痛から解放されると思ったら、少しほっとした。母が死んだ悲しさより、兄弟もなく、10年前に事故で父も亡くしている自分にとって、身近な家族が1人もいなくなった空虚感に苛(さいな)まれていた。

僕は、インターナショナル大学に通う一年生、神健竜(りゅうじんけん)だ。特に趣味はないが、小さい頃から母に強要され空手をやらされていた。

中学生の時には、すでに初段で黒帯をしていたため、いじめにあうことはなかった。父が亡くなって自分のことは自分で守りなさいといつも母に言われていた。

「健、大丈夫? いお葬式以来だね」大学の大教室でぼーっとしている僕に声をかけてきたのは、幼馴染の十六夜京子(いざよいきょうこ)で、10年以上のつきあいだ。彼女は小さい頃に母親を病気で亡くしている。

公立高校で一浪した僕と違って、私立高校から現役で入った彼女は、2年生だ。家が近所なのと父親同士の仲が良かった。父が亡くなってから疎遠になったが、京子と同じ大学に入ってから、再びよく話すようになった。

彼女は、周りにいつも4~5人の取り巻きがいるほど人気者だ。裕福な家庭で育った彼女はいつもきらびやかで、背も高くモデルのような体型だ。母子家庭で育った自分からは、まぶしくて苦手な部分もある。

「京子、ありがとう。大丈夫だよ」

「今日は空手の稽古行かないでしょ」

「行くよ。なんか体を動かしたい気分なんだ」

「そう、じゃあ一緒に行こう」

「いいよ」

「じゃあ、あとで」
 
京子も最近空手を始めた。まだまだ初心者の域は出ないが、筋は悪くない。人が死ぬということは、それまで一緒に生きてきた物も死ぬということだ。母の所有していた物は、母が死んだことで全く色を失い役に立たないゴミ同然になった。

遺品を整理しながら、そんなことを感じていた。僕は物に執着しない。母の荷物の中で、特に残したい物はない。捨てる物をゴミ袋に詰める。母のタンスを開ける。服も取り出し、無感情にゴミ袋に入れていく。