僕の話には興味がないようで、黙々と資料や本を読んでいく京子。見たこともない集中力で本を読んでいる。目力が強く怖いなと感じるほどだ。
「これ、マルコ・ポーロやその時代について調べているのよ、健」京子が興奮気味に言う。
「なんでわかるの?」
「ここよ、ここを見て」呆れ顔で文字を指さした。
馬可波羅と書かれている。「これは?」
「マルコ・ポーロと読むのよ!」
「えっ、これでマルコ・ポーロと読むのか」
「辞書の使い方も知らないんでしょ?」
「馬鹿にするなよ」
「だって、辞書を正しく使えばわかったはずよ」
「うるさいな」
マルコ・ポーロが、フビライ・ハンに仕えていたのは有名な話だ。さすがの僕でも知っている。
コロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見したことやマゼラン艦隊が1522年に世界一周を史上初めて達成するが、それに比べてもマルコ・ポーロは、 1200年代にヨーロッパと中国を往復しているのだ。
この時代に彼がやったことは、どれだけ凄いことなのか、想像することもできない。今まで何度も読んでいた本が、このマルコ・ポーロという文字がわかった途端に活き活きしだした感じだ。まるで、物語に主人公が戻ってきたように。
「健、お父さんの日誌、どこにある?」と京子はきょろきょろと部屋を見渡す。
「日誌?」
「うん、日誌。いくつかの資料に日誌の何ページ参照と書いてあるわ」
「日誌なんかこの部屋で見てない」と今まで見てきたものを確認しながら答えた。
「ちゃんと見たの?」
「いや、くまなく資料や本も見たし、開いてなかったダンボール箱も開けてみたが、日誌はなかった」
「別の場所にあるのかな?」
「研究に関する日誌だとすれば、ここにないとおかしい」
「家をもっと探してみれば?」
「ないと思うけど、探してみるよ」
「それから、この部屋のことをパパに話してもいい?」
そういえば、京子のお父さんが、父の研究を支援していた話を聞いたことがあった。
「いいよ」
「パパも関心もつと思うな」
僕たちは、研究部屋をあとにした。
4
やはり、家には日誌はない。そもそも母はなぜ父のことを多く語らなかったのか。あの部屋のこともそうだが、考古学のことなど何ひとつ聞いたことはない。
今まで母が父のことを何もしゃべらなかったことに疑問を持ったことはなかったが、母が死んで、父の人生そのものといえる研究部屋を見た途端、違和感を持った。僕はその違和感から、母はしゃべらなかったのではなく、しゃべりたくなかったのだと思うようになった。ただその理由はわからない。