オナシスには裏切られるし、声は出なくなるしで、カラスの晩年は寂しくて孤独なものだったに違いない。アンナ先生は最後にこう締めくくった。
「ある有名なプリマが言った言葉をあなたも覚えておくといいわ……『喝采はベッドまでは付いてきてくれない』」
私がイタリアに行くと決めた時に母は心配そうに言ったものだ。
「お願いだからイタリア人と結婚しないでね」
私は笑って答えた。
「それはないから安心して」
たしかに日本人女性のイタリア人男性との国際結婚の困難さを、ミラノだけでも結構見てきた。それは国際結婚の場合だけの問題ではなく、日本でも今や三組に一組は離婚する時代だ。
ただし国際結婚の場合、周りにその状況を和らげたり相談に乗る人が欠如している分、問題が深刻になることが多い。
これはある音楽学生の話だが、彼女が通う音楽学院への道すがら、毎朝その道に沿ったアパートの二階から口笛を吹くイタリア人の男がいた。
彼女はその男性と結婚したが、いざ一緒になってみると大変なグータラ男で全然仕事をしない。彼女は仕方なく通訳・ガイドなどのアルバイトをしながら男を養っているという話だ。
もう一人の日本人女性のケース。彼女が結婚した相手は会計士で経済的に安定していたし年恰好もぴったりだった。唯一の欠点は彼が余り信用出来ないイタリア南部出身の男性だったことだ。
結婚当初は愛し合い、子供も生まれ、幸せなカップルに見えたのに、夫は妻の知らないところで浮気をし、子供まで作って妻を捨てて出て行った。これらの女性たちは日本からミラノへ歌を勉強しに来た人たちだ。
私が知っているだけでもこんな調子だから、実際にはもっといろいろあるだろう。良くないイメージが出来上がっていたから、イタリア人男性と恋に落ちるなんてまず考えられなかった。
私には大きな夢がある。昔は日本人のソプラノが外国でプリマを歌うと言えば、おかしな寝巻のようなだらしのない〝キモノ〟ではなく、きちんと着付けをした着物を着て歌えるから、という理由で辛うじて『マダム・バタフライ』の主役、蝶々夫人にありつければ感謝感激だった。
【前回の記事を読む】先生から私の歌には気持ちが籠っていないと言われた。命懸けの恋をしたことのない私には、どうすれば気持ちが籠るのか分からず…