転居の数では負けません ―2018年8月15日

結婚以来16回目の引っ越しの末の現在の住居です。その間カリフォルニアの家を含め5件の家の売買をしました。

港区高輪、千代田区、三鷹市、江東区、市川市、浦安市、サンフランシスコ市郊外(ラフィエット2か所)、浦安市2か所、サンフランシスコ市郊外(ウォールナットクリーク)、アルゼンチン(ボエド)、那須塩原市3か所、江東区、そして現在の江東区新砂町です。これだけの家を移るのにはそれなりの事情がありました。

三鷹市で長男が生まれ、市川市で次男が生まれました。結婚するまで私は世田谷区、保夫さんの実家は栃木県でした。その後保夫さんは一人で上京して世田谷区、港区に住みました。

二人が知り合ったのは日本コンベンションサービス株式会社で保夫さんが翻訳者、私が社長秘書として働いていた時でした。今から半世紀以上も前のことです。

最後の外国、アルゼンチンにはたった5か月しか滞在していませんでしたが、ブエノスアイレスで秘境を巡るムービートラックに乗り、フランス人夫婦、ドイツ人、デンマーク人、アルゼンチン人達、計8人でマイマラ(アルゼンチン北部フフイ州)や塩湖などを巡った旅は忘れられない思い出です。

さて、現在のマンション住まいは15年になります。立地条件は申し分なく、眺望も「江東区一番よ!」と自慢するほど。

千葉県房総半島、葛西臨海公園、東京湾に浮かぶ船、夢の島、東京辰巳国際水泳場、レインボーブリッジ、羽田に離着陸する飛行機、豊洲、東京タワー、聖路加国際病院、佃島のビル群、東京方面、東京スカイツリー、両国国技館、筑波山まで見ることができます。おまけに免震住宅で東日本大震災では棚の物が落ちることなく済みました。

保夫さんが亡くなって1年半、私自身の生活もすっかりリズムができて、それなりに都会生活を満喫できている状態になりました。

でも、でもです。次男から「地価がものすごく値上がりしたサンフランシスコ郊外を離れて、他州(未定)の大きな家に住むから、一緒に住んでもいいよ」と誘いを受けたのです。予想外でしたが、とても嬉しく思いました。

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