抑揚のある、いつもの張りのある声で問い質された。
「まだ、正式に決まったことではありません。ですが、お耳に入った内容になろうかと思います」
渉太郎は流動的な内容を除いて、結論のみを述べた。
「きちんと報告してもらわねば困るね。いろいろな方面から聞かれることを想定しておかねばならないからな」
大神会長はいつものように左の口元の上の黒子(ほくろ)を触りながら、今度はいくぶん語気を強めて渉太郎をたしなめた。
「申し訳ありません。最終的に決まり次第ご報告するつもりでした」
と、簡潔に答えた。
渉太郎は、時機を見て会社を辞める目算であった。
自席に戻っても落ち着かず、仕事が手につかなかった。
秘書室内のテレビからアメリカ大統領選挙の行方と我が国の与党内の内紛が繰り返し報道されていた。
特に、与党民自党内の動静は秘書室にとっても最重要の関心事であった。政権が代わるとなると何かと慌ただしくなるからである。現実問題として、世論調査における森永政権の不人気ぶりは顕著であり、翌年の参議院選挙の勝利はまったく期待できないとの予測まで出る始末であった。
与党の有力者である加田議員が森永総理の批判を日毎に強めていた。拍車をかけるように野党は不信任案を衆議院に上程する準備を進めている模様がテレビでも連日報道されていた。
加田議員の派閥が野党の不信任案に賛成すると森永総理は解散か総辞職を選択しなくてはならない。内閣支持率が十%以下の世論調査結果から、政権が解散に打って出ることは事実上不可能な状態である。となると総辞職の可能性が現実問題として十分あり得る政治状況であった。
【前回の記事を読む】このプロジェクトが、なぜつぶれてしまったのか不思議でならなかった。トップの判断に唯一疑問を持った瞬間であった