第五章 政治家を志す
渉太郎は、一九九五年より桐陽学園の大川昇一が主宰する神奈川フォーラムに参加していた。おりしも一九九三年八月に民自党が下野し、その後五年余りを複数政党が政権を担う時代となり、政治が不安定となったときでもあった。
神奈川フォーラムに参加することで、政治にも関心を高めていた頃と仕事で海外出張なども多く責任ある立場になっていた時期と重なった。公私共に多忙を極めていた。
生来の生真面目さと精神一到して日々の努力を続けてきた結果、成り行き次第で社会での花芽(はなめ)を期待させる人間としての奥深さを感じさせるようになっていた。
二〇〇〇年四月に就任した森永総理大臣の支持率が思わしくなかった。六月には不支持率が支持率を大幅に上回り、以降も支持率低下に歯止めがかからないことから、翌年七月に行われる参議院選挙はかなりの苦戦が予想された。
政権与党の民自党神奈川県連合会では永田町色に染まったくたびれた候補者では当選は難しいとの雰囲気で一致していた。
民自党神奈川県連では、候補者選びに太い吐息を洩らし、
「大川先生のフォーラムから適任者を出してもらえませんか」
「自分の目に適った新人を擁立できる」
大川は、したり顔をして答えた。
二〇〇〇年十一月七日に行われたアメリカ大統領選挙で、フロリダ州の集計結果が裁判で争われることになったため、新大統領と会談する計画はいったん延期となった。
十一月十一日に帰国したばかりの大神会長から、
「ところで、青山議員が君と直接話をしたようだが、その中身を私はきちんと聞いていない。どういうことなんだ」