第三章 ギガロッシュ
「身寄りは、どなたもいらっしゃらないのですか?」
「身寄り? 笑わせるな。奴隷に身寄りも何もあるものか」
語気は穏やかだったが、バルタザールはくるりと窓の外へ顔を背けた。
さっきまで浮かべていた笑いが消え、あの、人を見透かしたような覚めた目をした男の顔に、妙に脆(もろ)い表情を見たような気がした。
それもまた、ほんの束の間で消え失せて、今はただ朝の陽光に映える冬の木立を眩しそうに目を細めて眺めている。シルヴィア・ガブリエルは、一瞬垣間見た表情の、何かしらの名残(なごり)を求めてその横顔を見つめ続けた。
「お前は、帰らないのか?」
ふいにバルタザールが向き直った。
そんな手に乗って俺が喋るものか。素知らぬふりでやり過ごそうとしたら、その様子に彼が噴き出した。
「アンブロワさ。シャルル様と奥方が予定を早めてお帰りになるそうだ。お前を捜しておられたぞ」
「えっ? 誰も呼びには来ませんでしたが」
「ああ、人が足らんからな。だから、俺が直々に呼びに来てやったのさ」
何だと! なぜそれを早く言わん。
シルヴィア・ガブリエルは慌てて椅子から跳ね上がった。
まったく……この男は。急ぎ外に飛び出そうと戸口に向かったら、後ろからまた、「おい!」と彼の呼び止める声が響いた。今度は何事かと振り返ると、手を掲げた彼がこちらを見てにこやかに笑っていた。
またやられた ……それに小さく応じて、シルヴィア・ガブリエルは苦笑した。
シルヴィア・ガブリエルが行ってしまうと、バルタザールは先ほどまで彼が腰を下ろしていた場所に座った。
微かな体温が、そこに残っていた。