基地
学生時代、私が一番自由で楽しい場所は、アルバイトと基地。
基地は分校みたいに色々な先生がいた。
薄暗い喫茶店。午後は大抵そこで過ごす。
マスターは政治の先生。住職さんは説法を話してくれた。
常連のおじさんは、ニコニコ話を聞いてくれた。勉強も基地でした。
他校の秀才が「お前ら馬鹿だなー」と言いながら教えてくれました。
アルバイトの時間までが、一番学生らしく過ごせた安全地帯でした。
追伸
母は休日私が出掛けることを許さなかった。
アルバイトだけは許してくれた。お金の余裕がなく、
バイト代が昼ごはんになることもあったからだ。
夜、アルバイト終わりの帰宅の時間に、
母は玄関で私の帰りを待っていてくれました。
大学生気分
兄から遊びに来いと連絡があった。
荒れていた女子高校生を心配してくれた。
下関にある「水産大学校」へ、初めての一人旅。下関に着いた日は乗船実習終了日。
実習を終え下船した大学生がにぎやかだった。
その夜、寮で酒盛りが始まった。なんと私は男子寮に寝泊まり。
「Yの妹か」入れ代わり立ち代わり部屋にくる。
私は見世物になった。いろいろな国の話を聞けて楽しかった。
明け方まで酒盛りは続いたらしいが、私は兄のベッドでぐっすり寝てしまった。
追伸
兄の友達が、「せっかくYの妹が来たので明日は小倉に行ってフグ」と叫んだ。
今思うとお金がない兄、お友達。
お金の工面を考えると、ありがたくて涙が出る。
大学生気分、一生忘れません。
【前回の記事を読む】母の遺影を探すとき、姉が「笑顔の写真ないね」と寂しそうに言っていた。笑っていた若い頃の写真を遺影にすることに決めた。
次回更新は11月11日(月)、20時の予定です。