第一章 再起

領事館からの封筒は、母からの力ない文字での手紙だった。妹の死と、家族がバラバラとなり別々の生活を送っていること、帰国しても帰る家がないことを淡々と母の端正な筆跡で書いてあった。

ドイツでの奴隷のような生活に辟易(へきえき)していた丽萍(リーピン)は、妹の弔いを理由に帰国を決意する。

帰国の旨を依頼すると、領事館事務官からは、帰国後の再入国を約束することはできないこと、留学は停止状態ではなく中止扱いとなり、再入国できても新たな留学となり、私費留学として費用負担や諸々の手続きは、最初から自己負担で行うことになると説明された。

異国の地で将来の希望が見えなくなった今、仁への想いが丽萍(リーピン)の最大の慰めとなった。

丽萍(リーピン)と別れた後、仁の生活は一変していた。システム導入が当初予定通り数か月後に迫る中、システム設計の見直しが完了していない状況が続いた。取引先とのデータ仕様を機能設計書に落とし、オフショア開発にその旨の説明を行いながら、プログラム開発を指示していた。

しかし、取引先とのデータ交換の種類と付加機能が予想以上に多く、その分多くの機能仕様書が必要となり、一部プログラム開発が先行していたものに対しては、完全な仕様変更や機能追加が発生し、追加費用での修正依頼が必要となった。要件定義、基本設計、プログラム製造と試験、検証作業が錯綜する最悪状態の構築作業を設計責任者として統括していた。

更に、日常的な指示と設計書、プログラムの検証作業、進捗資料作成と会議資料、報告資料と日本での技術者派遣を含めて二十名弱のプロジェクトメンバーと大連での十名程の開発メンバーを抱え、混沌とした前が見えない業務をプロジェクトマネージャーとして進めていた。

なおかつ、管理職業務を土日に行い、月曜日の朝からの出張で家族と会うことさえままならぬ状態の生活を送っていた。