障害
私は中途難聴者である。補聴器を使い、手話を勉強している。このいずれもが、大きな壁であり、それをなんとか柔らかい壁にしようと、日常努力している。この壁は終生なくならないであろう。一度、損傷した内耳は回復できない。
壁が作られたのは、もう20年ほど前であるが、その前に兆候らしきものもあった。初めの経験は、国立がんセンターに勤務して間もなくの頃である。
私は放射線の身体への効果を増強することに興味があった。いくつかの方法のなかで、細胞は無酸素環境下では、放射線効果が減少するが、がん細胞は無酸素の状態にあることが、基礎研究で示されている。臨床への応用の際の無酸素状態を解消する方法として、高圧酸素チェンバーが考案され、実用化への努力が続けられた。
私はこの臨床研究に参加していたが、ある時、三池炭鉱で事故があり、採炭していた人の多くが鉱道から脱出不能になった。救出作業が進められて、救出された方は長時間の低酸素状態で生きていた。
急遽、チェンバーを自衛隊輸送機で運んだ。私は同乗したが、機内の騒音は著しく2時間ほどはこの状態にあった。到着して運び出しをした際、担当者として、数人の報道関係者の質問にマイクで話を求められたが、なにしろ長時間の騒音下にいたので、質問は聞き取れず、返答も自分の耳には入ってこなかった。聴覚の一時的機能不全、これは徐々に回復した。
これは私と報道関係者との間の一時的壁といえよう。これに類似した経験はいくつかある。友人と別荘地を見に行くときにバス内で話しかけられても、聞き取れなかった。また、親戚の集まりで帰りにエレベーター内で話しかけられても、さっぱり聞き取れなかった。どうやら、私の聴覚は正常ではないらしい。50代の時の経験、それまでは何も聴覚について異常を感じることはなかった。
決定的に聴覚障害を意識したのは、一つは別荘の下に潜って、床下で金槌で木工作業で釘を叩き込んだ際、狭い空間なので、左耳近くで大きな音が出てしまった。長時間に及び、終了したときには、左耳が難聴になっていた。
さらに、ポータブルラジオで、左耳栓をつけて電源を入れた際に、音量が最大に設定してあるのに気づかず、大音量が耳に入り、結果として、左聴力は低下。これは内耳損傷を起こした回復不能の音響外傷である。
この状況ではまだよかったのであるが、自分としては、まだ聞こえる右聴力を大切にせねばならないとつねづね言い聞かせていた。
ところが何という不運か、右聴力は、後年突発性難聴となったのである。
【前回の記事を読む】日常生活は"壁"にかこまれている? 人種、性別、世代、規則。もちろん、家だって当然一つの"壁"である