弘大は晴子を妻として迎えたとき、自分の出生から成長にまつわる不可思議な話を彼女に打ち明けた。それは、次のようなものだった。
自分の成長の過程で、叔母のふみが自分に命を捧げるようにこの世を去った。彼女が亡くなって数日後、彼女は霊として自分のそばに現れるようになった。自分がここまで大病もせず生き長らえてきたのは、彼女がその時々で自分に降りかかるべき災厄を引き取ってくれたからである。そして、自分が尋常小学校を卒業する頃だった。
『あなたはもう大丈夫です。あなたに男の子が生まれたらまた来ます。しかし、その際わたしにはいっさい構ってはいけません。知らぬふりをするのです。わたしが守るのは、橋口家の跡取りとなる幼い男の子だけ。それを決して邪魔してはいけません』そう言って消えてしまった。
この話を晴子は全く信じてはいなかったが、夫の言うことだからというので、はい、はいと聞いていた。ところがある日、晴子は息子の弘太郎が、乳をやる自分だけでなく、反対側にいる誰かを気にするようなしぐさをすることになんとなく気づいた。
そして、弘太郎が片言を覚えたある日、俺がそうしたように、弘太郎は彼女の存在について母晴子に尋ねたのだった。晴子はまさかとは思ったが、夫弘大から聞かされていた、息子の災厄を祓ってくれるありがたい叔母、『ふみ』さんの霊が弘太郎のそばにいるのだと信じ、毎日仏壇に手を合わせるようになった。仏壇には、もちろん『ふみ』さんの位牌も祀られていた。
そして、俺の祖父である弘太郎が元気に育って成人し、敬子と結婚して俺の父である長男の弘一が誕生したとき、同じように弘太郎は妻敬子にその事情を伝えた。弘太郎は、長男が生まれたら代々そうするようにと、父弘大から引き継がれていたのだった。それがその次の代である俺の父、弘一にも引き継がれた。だから父は母春江にも、きっと『ふみ』さんのことを話していたのだろう。
俺が変なことを口走ったあのときの母の形相は忘れられないが、それ以降は特に変わった様子を母は示さなかった。祖母敬子がそうしたように、母春江も父弘一を信じていたのだ。そしてその息子である俺が、このたび長男をもうけた。俺が一人で住む社宅に父がわざわざやって来たのは、代々引き継がれてきたこの話をするためだったのだ。
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